| トップページ | ||||
美しすぎる環境活動家
12日、東京・南青山で開かれた「GREENDRINK TOKYO」において、カナダの「美しすぎる環境活動家」メラニー・マレン氏の講演会が開催された。今日はその模様をお伝えする。
今晩は、お招きいただきありがとうございます。日本という国に招いてくれたエコロジャパンにお礼を申し上げます。私はオンタリオ州の緑の党で副代表を務めており、グローバルグリーンズにもカナダ代表として参加した。今日は、自分が住んでいる地域を復興しようという活動について話す。
私は13歳の時から、学校内で様々な活動をしてきた。高校の時は地元にある土地の生態系を守ろうと、政府に働きかけることをした。大学ではローカルなビジネスに関わってきた。去年(2008年)はオンタリオ州議会選挙で出馬し、メディアの注目を浴びた。それを上手に利用し、地元であるナイアガラコール市の復興活動について、人々の関心を集めることに成功した。
ナイアガラコール市のダウンタウンは、多種多様なお店があったおかげでコミュティは潤っていたが、最近では世界的チェーンショップがどんどん入ってきて、地元のビジネスが破産に追い込まれていた。建物は廃墟になり、窓には板が張り付けられ、人々は寄りつかない状態になっていた。商店街は昔はとても栄えていたが、大手企業が入って廃れた。地域経済の転換は多大な影響を与え、地元の人の多くはパートで生計を立て、薬物に頼り、政府からの援助自他夜という状態が30年間続いている。投資家がいろんなプランを持ってきたが、地元の支持をえら得ずに失敗に終わった。
そこで自分は住民に対し、私の街はどこという質問を聞くことから始めた。刺激的な街を再認識する街を作ろうと計画し、意思決定の段階から住民参加を促したりした。私がテーマにやってきたのは生き生きとした街を取り戻し、自分の街で遊び、芸術文化に触れ、オーナーシップを取り戻そうと呼びかけた。
昨年(2008年)1月の寒い夜、地域の人たち有志に呼びかけてミーティングをした。真っ暗で電気もストーブもないなか10人が集まり、彼らで地域コミュを活性化するために何ができるかを話し合った。繁華街を自分達に取り戻すためにはどうすればいいかと話し合った。とりあえず、それぞれが10人街に連れ戻すことを決めた。 次のミーティングで、自分達の場所ではなく、毎回集まって行動できる基地が必要だと感じた。市内の建物オーナーに話しかけ、きれいにするかわりにアートを入れて地域を蘇らせたいと思った。オーナーはだんだん説得を受け入れ、窓を開け、部屋の中をきれいに掃除し、家具やアートを入れるようにした。ハブを作り、2週間ごとにミーティングをした。地域住民をインプットできるよう、また創造性を引き出す活動をした。経済活動をするにはそれが絶対必要だからだ。街の復興をどうしたらいいのかアイディアを発表し、ローカルなスポンサーがつき、広告を出し、クリエイティブな形で街をどうしたら活性化できるかを考えた。テーマのなかで、街がどうして大事なのか、素晴らしい街ができたときにどう変わるかを問いかけた。住民のアイディアでイベントがどんどん出てきた。メディアから注目を集め、勢いが出てきた。メディア関係者の中には、紙媒体やビデオの人もいた。
ここでさらに戦略的組織的に動くことにし、いろいろ計画を練った。一つは計画を練るためのNGOで、もうひとつは芸術家を支えるためのNGOだ。同時に、総合的なコミュニティを作るための委員会を作った。その結果、高い目標を掲げ、多くの重要人物を巻き込むことに成功した。市議会、ビジネス改善協会、市役所スタッフ、ビルオーナー、その他利害関係者、アーティストらだ
水俣病とメディア・2
11月3日に法政大学で開かれた「水俣病とメディア」の報告2回目。
今回は、NHKのドキュメンタリーを中心に報告したいと思います。
NHKでは、水俣病の問題が時々取り上げられたが、まとまった番組として取り上げられたのは、テレビドキュメンタリーだろう。NHKのドキュメンタリー「日本の素顔」で取り上げられているのが、日本の放送史上初めて、水俣病について取り上げられたドキュメンタリー番組だ。特徴的なのは、急性劇症的な患者が出てくる。その多くの部分が熊本大学水俣病研究班の映像を引用したものだ。別にテレビで使うのではなく、症例研究用に撮られた素材から引用されている。医学研究者が使う水俣病患者の映像を引用するということは、医学者が見るはずであろう映像を、多くの人がテレビ画面を通じて知ることになるのだ。患者さんの姿、生活が映像として克明に記憶されている。生活援護給付が行われ、援助額がいくら増えたという形で封土され得るが、ドキュメンタリー番組では、患者の生活が描かれる。構造排水でも、しっかり捉えられている。ナレーションもかぶせられている。
テレビというメディアが、テレビ固有方法で側面を切り取り、描かれた記録がドキュメンタリー番組だ。すくなからずの人々がこの映像を見ることで、水俣病を経験している。当時の多くの人がテレビを見ることで経験した記憶の記録であると捉えられる。
精神神経科の医師であり、水俣病の患者を数多く診察されてきた原田正純医師は、当時インターンで東京の病院に来ていて、たまたま水俣病のドキュメンタリーを見て、大変なショックを受けた。それ以上にショックを受けたのは患者さんの生活である。東京は経済発展を遂げているが、それと対局を行くような生活ぶりにはショックを受けたという。M君の映像が強く印象に残っている。テレビを見ることで経験した画面がこのドキュメンタリーのなかにある。
ここでNHKのドキュメンタリー番組「日本の素顔」の映像が放映される。
タイトルは「99集 奇病のかげに」。
99集とあるとおり、NHKはテレビ初期からドキュメンタリー番組制作に力を注いでいたことがわかる。
(ここから映像)
冒頭に、水俣病で視線がはっきりせず、どこか挙動不審な女子が出てくる。運動神経が麻痺しているため、身体の震えが止まらない.最初日本脳炎だと診断されていたが、当時は水俣病とはわからなかった。発病患者の死亡率は40%、患者のほとんどが貧しい人。症状が悪化し、平衡感覚がすっかり麻痺している。手足がしびれているのは、小脳が冒されているからだ。この病気の正体なにか?原因が魚であることはわかったが、それ以外については謎だった、目が見えなくなり、耳が遠くなる。
官邸ブログへの違和感
今月の4日、首相官邸が専用のブログを開設した。すでにホワイトハウスはtwitterを通じて情報公開を始めており、それに倣ったのだろうと思っていた。
ところがこの「首相官邸ブログ」を巡って、twitter内は上を下への大混乱になった。そのきっかけは、民主党参議院議員・藤末健三氏がtwitterで
「首相官邸ブログは『ニセモノですよ』」
と発言だった。私はこのブログをプラウザの『お気に入り』に入れていたためフォローしている人に
「せっかく『お気に入り』に登録したのに〜」
と泣き言を言った。ところがその直後、別のフォロワーから
「(このブログシステムを提供している)CA(サイバーエージェント=ブログサービス『ameba』を運営している会社からプレスリリースされているから本物だ」
という情報が飛び込んできた。私とフォロー・フォロワー関係にある人たちはむろんのこと、他のtwitterユーザーにもこの情報が広まり、twitter内の混乱はさらに拍車がかかった。この状態は、当の藤末議員がtwitterにある「鳩山由紀夫」アカウントと首相官邸ブログをごっちゃにしたことが原因であるとと声明を出すまで続いた。一議員の勘違いで大騒動になったという、まことにトホホな結末である。誰も名誉が傷つかなかったのが不幸中の幸いとはいえ、不確かな情報を「事実」と認定する認識の甘さは、かつて「偽メール事件」で党内大騒ぎになった教訓が、まったく生かされていないことが証明された。
だがこの「首相官邸ブログ」、内容以前に問題が多すぎる。
ネット選挙解禁へ
やっと、日本でもネット上で選挙活動ができるのか・・・
ネット選挙解禁へ論点整理指示 原口総務相
ようやく日本でも、インターネットを使った選挙活動が解禁されるようだ。アメリカで起こった同時多発テロ(俗に言う「9・11」)以降、平和を求める世界中の市民が積極的に連帯し、情報交換をするためにインターネットを利用したからだ。実際、あの頃のインターネット上でかわされた情報数はすごかった。ネットを通じて見知らぬ人たちがデモ行進をし、プロジェクトを立ち上げ、メーリングリストやHPで情報を発信する。その背景には
「メディアは、自分達がほしがる情報を決して報道しない。我々を間違った方向に進ませようとしている」
という、既存メディアに対する不信感もあったのは想像に難くない。今でこそオルタナティブ(独立系)メディアの重要さが盛んに力説されるようになったが、この頃の市民有志達の活動は、オルタナティブメディアの先駆けと言えるのではないだろうか。
もちろん、政治家達もこの動きに対し、手をこまねいていたわけではなく、HPを開設して自分の意見をネット上で明らかにする人たちも増えていった。普段からネット上で意見を述べている政治家、特に野党や与党の若手政治家達は、ネット上での政治活動解禁のために積極的に動いた。しかし、そんな彼らの前に立ちはだかったのが、ベテラン政治家と「公職選挙法」だった。
「公職選挙法」では、候補者は
「候補者の名前の入った選挙運動(投票依頼)目的の文書図画については、選挙管理委員会が発行するシール又はハンコのついた一定枚数の文書図画しか発行できない」
と定めている。選挙を管轄する総務省はこの法律を拡大解釈してホームページ(以下HP)・ブログ・電子メールも「文書図画にあたる」と解釈している。HPの更新については新しい部分だけでなく、過去ログも一体のものとして頒布・掲示したことにあたると解釈しているため、同省は選挙期間中「候補者は選挙期間中WEBサイトを更新できない」という立場をとっているばかりか、選挙期間中のブログの更新、Twitterのつぶやき、さらにはミクシィに代表されるSNSの足あとまで公職選挙法に抵触されるとしている。前者は「つぶやき」も文書配布に当たるとされ、後者は公職選挙法で禁止されている「選挙期間中の戸別訪問」に当たると認定されているからだ。電子メールについても、内部で使う分には問題ないが、メーリングリストを通じて不特定または多数に投票依頼を行うことは、文書図画の頒布にあたるという見解を示している。
水俣病とメディア・1
昨日、法政大学内で開かれた「水俣」のテレビドキュメンタリーを読み解く−環境報道アーカイブの構築に向けて−というシンポに参加した。水俣病発生から半世紀過ぎ、今年ようやく制定された「水俣病特措法」はチッソの企業責任を曖昧にしたと、患者支援者から抗議の声が上がっているが、このシンポでは「報道」という視点から、水俣病の歴史を読み解こうという、極めてユニークかつ意欲的なプログラムだと思う。
昨日ののシンポジウムに参加した人は、ざっと数えると50人くらいいただろうか。会場となった教室は、普段ゼミ等で使われる小さな教室であり、部屋の中はすし詰め状態だったが、裏を返せば、日本で初めて「公害病」に認定された水俣病をについて、これだけ関心を持ってくれる人がいるということは、主催者側には想定外の事態だったそうだ。なぜならば、過去の水俣病のシンポの参加人数は、それほど集まらなかったそうだ。シンポに集まったのは中・壮年層が多く、若い人はあまり見あたらなかった。公害病も立派な環境問題だと思うのだが、この問題にあまり関心を持ってくれる人が多くないのは残念だ。蛇足ながら、このシンポの会場だった法政大学内は、学園祭が開かれていた。彼らのうちの何人かが参加してくれたら、このシンポジウムはもっと盛り上がっていただろう。
法政大学ではこのほど、大学院のなかに「特定課題研究所 環境報道アーカイブ研究所」を設けることになった。テレビの場合、報道番組は主にニュース、ドキュメンタリー番組として放送される。研究のためにはそういう番組も必要なのでアーカイブ収集を続けてきたが、日本の場合、原則としてニュースは保存しないという問題が発覚した。水俣も例外ではなく、実際にテレビ画面を通じて知る情報は保存されないテレビ局内に編集前の映像素材は残っているが、原則として公開対象が内部だけで、外部の人間は簡単に閲覧できないため、これまでの研究で構築したネットワークのなかから、協力者を見つけて研究を続けてきた。その過程で大変なことに気がついた。なぜならば、取材対象者の描かれ方の問題がわかってきたからだ。
ニュース番組、ドキュメンタリーは視聴率が低くても見ている人がいるが、その記録が全く残されない、簡単に見られない、あの時どんな番組を見て振り返ることができない状態が続いてきた。映像も最重要資料のはずだが、資料が保管されていないため研究が簡単にできないのは大きな問題だ。放送事業者が取り組めばいいが、その取り組みが進まない以上、自分達の研究のために集めてきた素材を整理・保存し、アーカイブをきちんと構築しようと思った。そのための研究所を先月発足させ、このシンポジウムが初めての仕事である。
美しすぎる市議の暴言
ワーキングプアに対する地元名士の子弟子女認識はそんなもんだ。
藤川ゆり「生活保護の前に働け」
藤川ゆり、別名「美しすぎる市議」。
彼女の名前が日本に知れ渡ったのは、海外のサイトが紹介した「美人政治家」の中に、彼女が入っていたからである。このことは瞬く間に日本に紹介され、彼女は有名人になった。
しかし、彼女の「本業」であるはずの「市議 藤川ゆり」としての評判は,あまり芳しいものではない。地道に「市議」としての本業に邁進していればいいものを、何を勘違いしたのかDVDを発売して「タレント気取りか」と批判されたり、そのことが原因で後援会長とけんか別れしたり、果ては地元の県会議員との「朝帰り」をフライデー−にすっぱ抜かれて「不倫か?」と騒がれたりと、話題になったのはスキャンダルばかりである。
その藤川市議が、ネット上でとんでもない発言をした。
内容はリンク元の記事を見ればわかるのだが、彼女はセレブ御用達月刊誌「プレジデント」で、若者が生活保護に安易に頼る風潮に対し
「生活保護は病気や高齢の方のためにあるもので、働く気があるのにちょっとやる気がないというような人には就業支援を進めますね」
と発言したのである。もっとも、地方市議会議員としての「本分」は忘れなかったようで、地方で職業の選択肢が少ないことにも触れ、社会を支えるために若い人が働ける職場が必要との考えを示した。
だが、ネット上での彼女に対する反発は想像以上に激しかった。「市議」としての活動はあまり伝わらず、報道されるのはタレント活動やスキャンダルばかり。おまけに彼女自身、その出自は地元で県会議員を父に持つ「セレブ」ということも災いし、twitter上ではその発言に異議を唱えるレスが相次いだ。
理想と現実の狭間で
「ビジネスの基軸を23.4度傾けよう」
これは「環境とCSRと『志』のビジネス情報誌」オルタナ第15号の編集後記に書かれていたスローガンである。オルタナは2007年に、もと日本経済新聞社記者である森 摂(もり・せつ)氏らが中心になって創刊されたビジネス雑誌で、企業の「別のモノサシとは何か」を探り、企業の社会責任(CSR)、LOHAS的なもの、環境保護やエコロジーなど、サステナビリティ(持続可能性)を希求す る社会全般の動きを追求することをコンセプトにしている,ちょっとユニークなビジネス雑誌である。この雑誌はビジネスを「社会悪」と見なさず、中小企業の先進的な企業活動を社会に広く伝えることで、大企業の活動にも影響を与える事を狙うことを編集方針に掲げている。のは、環境問題やNGO・NPOの記事を積極的に取り上げ、企業の社会貢献(CSR)情報を紹介するなど、雑誌が他の経済誌・ビジネス誌と一線を画している…はずだった。
ここで「だった」と過去形の表現にしたのは、最新号の16号の特集記事に、違和感を覚えたからだ。
この雑誌は第4号(2007年10月発行)で「エコカー」について取り上げている。その記事で同誌はエコカーについて様々な視点から検証を試み、自動車メーカーの言い分について異議を唱えている。政府が「エコポイント」制度を設立したことで注目を浴びている「エコカー」だが、当時は自動車ユーザーの間でも「知る人ぞ知る」存在で、メディアも今ほど注目していなかった記憶がある。当時は世界的な食糧危機が叫ばれていた時代で、その原因として,サトウキビの大生産国であるブラジルなどが「食用のサトウキビよりも、バイオ燃料に生成したほうが儲かると判断したから」とという噂が流れていた。だがエコカーは一般車に比べてはるかに高額であり(現在もだが)、同誌はエコカーは「買う」よりも「借りる」ほうがお得だと論評している。
環境ライター・奥田みのり氏は、自分のブログでエコカーについて取り上げ、その中でエコカーは10万キロ走らないとCO2排出のメリットはなく(トヨタ・プリウスの場合)、他の自動車メーカーも、どのくらい乗ると、エコカーのメリットがでてくるのか公表していないことを指摘し、その線引きに必要な数値を公表しないで「エコカーは環境にいい」とPRする企業は、企業が本気で環境を大切にしようとしていない証拠だと憤慨していた。
変わりゆくアキバ
昨日、久々に秋葉原界隈をうろついてきた。
私はクラシック音楽を聴くのを趣味にしている人間だが、クラシックに限らず、お目当てのCDがあると、真っ先に秋葉原に足を運ぶほどこの街が好きな人間だ。皆様もご存じの通り、この街は別名「電気街」といわれるほど、時代の最先端を行く家電製品のメッカとして知られ、’70年代〜’90年代後半は、全国各地から最先端の家電を買い求める家族でごった返していた。
しかし、’90年代末期になると客足は伸び悩んだ。コジマ、ヤマダ電機、ケーズデンキに代表される大型家電量販店が道路に面した郊外に進出すると、車を所有する家族連れは、一斉にそちらに流れてしまったからだ。秋葉原に根付き、一時期を気づいた大型店は時代の変化に対応できず、次々と消えていった。第一家電は破産し、個性的な形をしていたビルは、跡形もなく消えた。
ラオックスは今世紀になってから経営難で苦しみ、今年から中国資本の傘下に入り、再生への道を歩んでいるが、その前途は多難である。私の地元にもラオックスがあり、かつては2階建てのビルを丸ごと使っていたのだが、売り上げ減少で賃料が払えなくなり、今は1階だけで細々と営業している。子の会社はかつて、秋葉原に本店の他、コンピューター専門店とオーディオを扱った店を扱っていたが、前者は閉店し、建物は朽ち果てる寸前の状態になっており、後者はパチンコ屋になってしまった。
このほかにも、サトームセン、オノデンといった老舗の家電量販店も秋葉原から撤退し、パソコン専門店として一時代を築いたT−ZONEは、今は自製パソコンのための部品専門店になってしまった。新規・中古に限らずパソコン関係商品全般を扱うソフマップや九十九電機も、大手資本傘下に入って経営再建を目指す状態に陥っている。
苦境にある者の瞳は輝く
ネット上で知り合った人間が、twitterでこんなことをつぶやいていた。
「物質的貧困、精神的貧困 どちらにしても人間の本能が輝くチャンスなのであります」と。
この話を聞いて、私は以前聞いたエピソードを思い出した。
黒柳徹子が、取材でモザンビークを訪問したときのことだから、今から20年くらい前になるだろうか。 当時の現地は、長年続いた内戦が終結したばかり。
政府軍・反政府ゲリラ双方がばらまいた地雷のために、各地で犠牲者のニュースが飛び込んできた。
彼女は、当時の大統領に双眼鏡を送り
「これで、地雷を見つけてください」
といった。
ところが、大統領は意外な言葉を返してきた。
「いいえ、これで夢を見ましょう」
「地雷を満足に見つけられない国の為政者が、何カッコつけてるんだ」
そう思う人も多かろう。
毎日のように、国内各地からは
「地雷で足が飛んだ、手をなくした、命を落とした」という知らせが
うんざりするくらい報道されているのだ。
彼からすれば、その原因を作ったのは自分達であるということは重々承知している。
人が死んだ。
誰それが重い後遺障害が残るケガをした。
まっとうな神経の持ち主だったら
毎日毎日そんなニュースを聞かされていたら、本当に発狂してしまうだろう。
最高権力者として、過酷な現実を目の当たりにしている彼にとっては
「双眼鏡で、明るい未来を見る」時が,唯一気の休まる時間なのだ。
鳩山首相所信表明演説
さあ、これから論戦スタートだ!
クローズアップ2009:鳩山首相、所信表明 原稿作りも「政治主導」
政権発足から1月が経過し、ようやく国会が開会した。本当はもう少し早く開会される予定だったのだが、最大野党・自民党の新総裁が未定だったことを含め、諸々の事情が重なって昨日にずれ込んだ。国会を開いて、早く自民党政権との違いを認識したいという国民は多く、何をモタモタしているんだという印象は否めない。
鳩山首相は今所信表明演説を「戦後行政の大掃除」を位置づけ、「国政の変革に取り組む」事を明らかにした。演説時間は52分に及び、これは過去10年間で最長時間となった。
政権交代に伴い、所信表明演説の作成方法にも変化が見られた。自民党政権時代は、首相官邸と各省の間で、政策分野ごとに「短冊」と呼ばれるペーパーが何度も往来しながら作成されたが、鳩山政権では、野党党首時代にスピーチライターとして起用した松井・官房副長官が首相の考えを取り入れて原稿を作成し、これに鳩山首相、菅副首相、平野官房長官が手に入れて作成したものである。内容が理念優先に走ったため、具体的な政策についてはほとんど触れていないという意見が、大メディアの間からも出ている。
だが、それがなんだというのだろう。自民党政権時代は、選挙の時だけ「国民の皆様のお役に立ちます」などと調子のいいことをいって、いざ国会が開くと、国民が望んでいない政策を次から次へと強行してきた。国民には「上から目線」で応対し、票を差し出してくれる業界団体に媚びへつらい、アメリカに平身低頭、それでいて中国・韓国などと無用の軋轢を起こし、それ以外の外国は眼中にない。それが自民党のいう「政治」であり「外交」だった。
だから、鳩山政権では「政治」も「外交」も、その概念をがらっと変えるはずだ…と思いたいが、その前途は早くも険しくなっている。沖縄・普天間基地の問題ではアメリカの恫喝、岡田外相が「普天間は県内移設」というため、政権内は早くもダッチロールの様相を呈してきた。鳩山首相自身は現在も「県外移設」の持論を崩していないが、自分自身の意見を貫き通すのが苦手と思われる首相だけに、和平・反戦派や地元住民の間からは、早くも不安の声が上がっている。












