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官邸ブログへの違和感
今月の4日、首相官邸が専用のブログを開設した。すでにホワイトハウスはtwitterを通じて情報公開を始めており、それに倣ったのだろうと思っていた。
ところがこの「首相官邸ブログ」を巡って、twitter内は上を下への大混乱になった。そのきっかけは、民主党参議院議員・藤末健三氏がtwitterで
「首相官邸ブログは『ニセモノですよ』」
と発言だった。私はこのブログをプラウザの『お気に入り』に入れていたためフォローしている人に
「せっかく『お気に入り』に登録したのに〜」
と泣き言を言った。ところがその直後、別のフォロワーから
「(このブログシステムを提供している)CA(サイバーエージェント=ブログサービス『ameba』を運営している会社からプレスリリースされているから本物だ」
という情報が飛び込んできた。私とフォロー・フォロワー関係にある人たちはむろんのこと、他のtwitterユーザーにもこの情報が広まり、twitter内の混乱はさらに拍車がかかった。この状態は、当の藤末議員がtwitterにある「鳩山由紀夫」アカウントと首相官邸ブログをごっちゃにしたことが原因であるとと声明を出すまで続いた。一議員の勘違いで大騒動になったという、まことにトホホな結末である。誰も名誉が傷つかなかったのが不幸中の幸いとはいえ、不確かな情報を「事実」と認定する認識の甘さは、かつて「偽メール事件」で党内大騒ぎになった教訓が、まったく生かされていないことが証明された。
だがこの「首相官邸ブログ」、内容以前に問題が多すぎる。
ネット選挙解禁へ
やっと、日本でもネット上で選挙活動ができるのか・・・
ネット選挙解禁へ論点整理指示 原口総務相
ようやく日本でも、インターネットを使った選挙活動が解禁されるようだ。アメリカで起こった同時多発テロ(俗に言う「9・11」)以降、平和を求める世界中の市民が積極的に連帯し、情報交換をするためにインターネットを利用したからだ。実際、あの頃のインターネット上でかわされた情報数はすごかった。ネットを通じて見知らぬ人たちがデモ行進をし、プロジェクトを立ち上げ、メーリングリストやHPで情報を発信する。その背景には
「メディアは、自分達がほしがる情報を決して報道しない。我々を間違った方向に進ませようとしている」
という、既存メディアに対する不信感もあったのは想像に難くない。今でこそオルタナティブ(独立系)メディアの重要さが盛んに力説されるようになったが、この頃の市民有志達の活動は、オルタナティブメディアの先駆けと言えるのではないだろうか。
もちろん、政治家達もこの動きに対し、手をこまねいていたわけではなく、HPを開設して自分の意見をネット上で明らかにする人たちも増えていった。普段からネット上で意見を述べている政治家、特に野党や与党の若手政治家達は、ネット上での政治活動解禁のために積極的に動いた。しかし、そんな彼らの前に立ちはだかったのが、ベテラン政治家と「公職選挙法」だった。
「公職選挙法」では、候補者は
「候補者の名前の入った選挙運動(投票依頼)目的の文書図画については、選挙管理委員会が発行するシール又はハンコのついた一定枚数の文書図画しか発行できない」
と定めている。選挙を管轄する総務省はこの法律を拡大解釈してホームページ(以下HP)・ブログ・電子メールも「文書図画にあたる」と解釈している。HPの更新については新しい部分だけでなく、過去ログも一体のものとして頒布・掲示したことにあたると解釈しているため、同省は選挙期間中「候補者は選挙期間中WEBサイトを更新できない」という立場をとっているばかりか、選挙期間中のブログの更新、Twitterのつぶやき、さらにはミクシィに代表されるSNSの足あとまで公職選挙法に抵触されるとしている。前者は「つぶやき」も文書配布に当たるとされ、後者は公職選挙法で禁止されている「選挙期間中の戸別訪問」に当たると認定されているからだ。電子メールについても、内部で使う分には問題ないが、メーリングリストを通じて不特定または多数に投票依頼を行うことは、文書図画の頒布にあたるという見解を示している。
水俣病とメディア・1
昨日、法政大学内で開かれた「水俣」のテレビドキュメンタリーを読み解く−環境報道アーカイブの構築に向けて−というシンポに参加した。水俣病発生から半世紀過ぎ、今年ようやく制定された「水俣病特措法」はチッソの企業責任を曖昧にしたと、患者支援者から抗議の声が上がっているが、このシンポでは「報道」という視点から、水俣病の歴史を読み解こうという、極めてユニークかつ意欲的なプログラムだと思う。
昨日ののシンポジウムに参加した人は、ざっと数えると50人くらいいただろうか。会場となった教室は、普段ゼミ等で使われる小さな教室であり、部屋の中はすし詰め状態だったが、裏を返せば、日本で初めて「公害病」に認定された水俣病をについて、これだけ関心を持ってくれる人がいるということは、主催者側には想定外の事態だったそうだ。なぜならば、過去の水俣病のシンポの参加人数は、それほど集まらなかったそうだ。シンポに集まったのは中・壮年層が多く、若い人はあまり見あたらなかった。公害病も立派な環境問題だと思うのだが、この問題にあまり関心を持ってくれる人が多くないのは残念だ。蛇足ながら、このシンポの会場だった法政大学内は、学園祭が開かれていた。彼らのうちの何人かが参加してくれたら、このシンポジウムはもっと盛り上がっていただろう。
法政大学ではこのほど、大学院のなかに「特定課題研究所 環境報道アーカイブ研究所」を設けることになった。テレビの場合、報道番組は主にニュース、ドキュメンタリー番組として放送される。研究のためにはそういう番組も必要なのでアーカイブ収集を続けてきたが、日本の場合、原則としてニュースは保存しないという問題が発覚した。水俣も例外ではなく、実際にテレビ画面を通じて知る情報は保存されないテレビ局内に編集前の映像素材は残っているが、原則として公開対象が内部だけで、外部の人間は簡単に閲覧できないため、これまでの研究で構築したネットワークのなかから、協力者を見つけて研究を続けてきた。その過程で大変なことに気がついた。なぜならば、取材対象者の描かれ方の問題がわかってきたからだ。
ニュース番組、ドキュメンタリーは視聴率が低くても見ている人がいるが、その記録が全く残されない、簡単に見られない、あの時どんな番組を見て振り返ることができない状態が続いてきた。映像も最重要資料のはずだが、資料が保管されていないため研究が簡単にできないのは大きな問題だ。放送事業者が取り組めばいいが、その取り組みが進まない以上、自分達の研究のために集めてきた素材を整理・保存し、アーカイブをきちんと構築しようと思った。そのための研究所を先月発足させ、このシンポジウムが初めての仕事である。
美しすぎる市議の暴言
ワーキングプアに対する地元名士の子弟子女認識はそんなもんだ。
藤川ゆり「生活保護の前に働け」
藤川ゆり、別名「美しすぎる市議」。
彼女の名前が日本に知れ渡ったのは、海外のサイトが紹介した「美人政治家」の中に、彼女が入っていたからである。このことは瞬く間に日本に紹介され、彼女は有名人になった。
しかし、彼女の「本業」であるはずの「市議 藤川ゆり」としての評判は,あまり芳しいものではない。地道に「市議」としての本業に邁進していればいいものを、何を勘違いしたのかDVDを発売して「タレント気取りか」と批判されたり、そのことが原因で後援会長とけんか別れしたり、果ては地元の県会議員との「朝帰り」をフライデー−にすっぱ抜かれて「不倫か?」と騒がれたりと、話題になったのはスキャンダルばかりである。
その藤川市議が、ネット上でとんでもない発言をした。
内容はリンク元の記事を見ればわかるのだが、彼女はセレブ御用達月刊誌「プレジデント」で、若者が生活保護に安易に頼る風潮に対し
「生活保護は病気や高齢の方のためにあるもので、働く気があるのにちょっとやる気がないというような人には就業支援を進めますね」
と発言したのである。もっとも、地方市議会議員としての「本分」は忘れなかったようで、地方で職業の選択肢が少ないことにも触れ、社会を支えるために若い人が働ける職場が必要との考えを示した。
だが、ネット上での彼女に対する反発は想像以上に激しかった。「市議」としての活動はあまり伝わらず、報道されるのはタレント活動やスキャンダルばかり。おまけに彼女自身、その出自は地元で県会議員を父に持つ「セレブ」ということも災いし、twitter上ではその発言に異議を唱えるレスが相次いだ。
理想と現実の狭間で
「ビジネスの基軸を23.4度傾けよう」
これは「環境とCSRと『志』のビジネス情報誌」オルタナ第15号の編集後記に書かれていたスローガンである。オルタナは2007年に、もと日本経済新聞社記者である森 摂(もり・せつ)氏らが中心になって創刊されたビジネス雑誌で、企業の「別のモノサシとは何か」を探り、企業の社会責任(CSR)、LOHAS的なもの、環境保護やエコロジーなど、サステナビリティ(持続可能性)を希求す る社会全般の動きを追求することをコンセプトにしている,ちょっとユニークなビジネス雑誌である。この雑誌はビジネスを「社会悪」と見なさず、中小企業の先進的な企業活動を社会に広く伝えることで、大企業の活動にも影響を与える事を狙うことを編集方針に掲げている。のは、環境問題やNGO・NPOの記事を積極的に取り上げ、企業の社会貢献(CSR)情報を紹介するなど、雑誌が他の経済誌・ビジネス誌と一線を画している…はずだった。
ここで「だった」と過去形の表現にしたのは、最新号の16号の特集記事に、違和感を覚えたからだ。
この雑誌は第4号(2007年10月発行)で「エコカー」について取り上げている。その記事で同誌はエコカーについて様々な視点から検証を試み、自動車メーカーの言い分について異議を唱えている。政府が「エコポイント」制度を設立したことで注目を浴びている「エコカー」だが、当時は自動車ユーザーの間でも「知る人ぞ知る」存在で、メディアも今ほど注目していなかった記憶がある。当時は世界的な食糧危機が叫ばれていた時代で、その原因として,サトウキビの大生産国であるブラジルなどが「食用のサトウキビよりも、バイオ燃料に生成したほうが儲かると判断したから」とという噂が流れていた。だがエコカーは一般車に比べてはるかに高額であり(現在もだが)、同誌はエコカーは「買う」よりも「借りる」ほうがお得だと論評している。
環境ライター・奥田みのり氏は、自分のブログでエコカーについて取り上げ、その中でエコカーは10万キロ走らないとCO2排出のメリットはなく(トヨタ・プリウスの場合)、他の自動車メーカーも、どのくらい乗ると、エコカーのメリットがでてくるのか公表していないことを指摘し、その線引きに必要な数値を公表しないで「エコカーは環境にいい」とPRする企業は、企業が本気で環境を大切にしようとしていない証拠だと憤慨していた。
変わりゆくアキバ
昨日、久々に秋葉原界隈をうろついてきた。
私はクラシック音楽を聴くのを趣味にしている人間だが、クラシックに限らず、お目当てのCDがあると、真っ先に秋葉原に足を運ぶほどこの街が好きな人間だ。皆様もご存じの通り、この街は別名「電気街」といわれるほど、時代の最先端を行く家電製品のメッカとして知られ、’70年代〜’90年代後半は、全国各地から最先端の家電を買い求める家族でごった返していた。
しかし、’90年代末期になると客足は伸び悩んだ。コジマ、ヤマダ電機、ケーズデンキに代表される大型家電量販店が道路に面した郊外に進出すると、車を所有する家族連れは、一斉にそちらに流れてしまったからだ。秋葉原に根付き、一時期を気づいた大型店は時代の変化に対応できず、次々と消えていった。第一家電は破産し、個性的な形をしていたビルは、跡形もなく消えた。
ラオックスは今世紀になってから経営難で苦しみ、今年から中国資本の傘下に入り、再生への道を歩んでいるが、その前途は多難である。私の地元にもラオックスがあり、かつては2階建てのビルを丸ごと使っていたのだが、売り上げ減少で賃料が払えなくなり、今は1階だけで細々と営業している。子の会社はかつて、秋葉原に本店の他、コンピューター専門店とオーディオを扱った店を扱っていたが、前者は閉店し、建物は朽ち果てる寸前の状態になっており、後者はパチンコ屋になってしまった。
このほかにも、サトームセン、オノデンといった老舗の家電量販店も秋葉原から撤退し、パソコン専門店として一時代を築いたT−ZONEは、今は自製パソコンのための部品専門店になってしまった。新規・中古に限らずパソコン関係商品全般を扱うソフマップや九十九電機も、大手資本傘下に入って経営再建を目指す状態に陥っている。
苦境にある者の瞳は輝く
ネット上で知り合った人間が、twitterでこんなことをつぶやいていた。
「物質的貧困、精神的貧困 どちらにしても人間の本能が輝くチャンスなのであります」と。
この話を聞いて、私は以前聞いたエピソードを思い出した。
黒柳徹子が、取材でモザンビークを訪問したときのことだから、今から20年くらい前になるだろうか。 当時の現地は、長年続いた内戦が終結したばかり。
政府軍・反政府ゲリラ双方がばらまいた地雷のために、各地で犠牲者のニュースが飛び込んできた。
彼女は、当時の大統領に双眼鏡を送り
「これで、地雷を見つけてください」
といった。
ところが、大統領は意外な言葉を返してきた。
「いいえ、これで夢を見ましょう」
「地雷を満足に見つけられない国の為政者が、何カッコつけてるんだ」
そう思う人も多かろう。
毎日のように、国内各地からは
「地雷で足が飛んだ、手をなくした、命を落とした」という知らせが
うんざりするくらい報道されているのだ。
彼からすれば、その原因を作ったのは自分達であるということは重々承知している。
人が死んだ。
誰それが重い後遺障害が残るケガをした。
まっとうな神経の持ち主だったら
毎日毎日そんなニュースを聞かされていたら、本当に発狂してしまうだろう。
最高権力者として、過酷な現実を目の当たりにしている彼にとっては
「双眼鏡で、明るい未来を見る」時が,唯一気の休まる時間なのだ。
鳩山首相所信表明演説
さあ、これから論戦スタートだ!
クローズアップ2009:鳩山首相、所信表明 原稿作りも「政治主導」
政権発足から1月が経過し、ようやく国会が開会した。本当はもう少し早く開会される予定だったのだが、最大野党・自民党の新総裁が未定だったことを含め、諸々の事情が重なって昨日にずれ込んだ。国会を開いて、早く自民党政権との違いを認識したいという国民は多く、何をモタモタしているんだという印象は否めない。
鳩山首相は今所信表明演説を「戦後行政の大掃除」を位置づけ、「国政の変革に取り組む」事を明らかにした。演説時間は52分に及び、これは過去10年間で最長時間となった。
政権交代に伴い、所信表明演説の作成方法にも変化が見られた。自民党政権時代は、首相官邸と各省の間で、政策分野ごとに「短冊」と呼ばれるペーパーが何度も往来しながら作成されたが、鳩山政権では、野党党首時代にスピーチライターとして起用した松井・官房副長官が首相の考えを取り入れて原稿を作成し、これに鳩山首相、菅副首相、平野官房長官が手に入れて作成したものである。内容が理念優先に走ったため、具体的な政策についてはほとんど触れていないという意見が、大メディアの間からも出ている。
だが、それがなんだというのだろう。自民党政権時代は、選挙の時だけ「国民の皆様のお役に立ちます」などと調子のいいことをいって、いざ国会が開くと、国民が望んでいない政策を次から次へと強行してきた。国民には「上から目線」で応対し、票を差し出してくれる業界団体に媚びへつらい、アメリカに平身低頭、それでいて中国・韓国などと無用の軋轢を起こし、それ以外の外国は眼中にない。それが自民党のいう「政治」であり「外交」だった。
だから、鳩山政権では「政治」も「外交」も、その概念をがらっと変えるはずだ…と思いたいが、その前途は早くも険しくなっている。沖縄・普天間基地の問題ではアメリカの恫喝、岡田外相が「普天間は県内移設」というため、政権内は早くもダッチロールの様相を呈してきた。鳩山首相自身は現在も「県外移設」の持論を崩していないが、自分自身の意見を貫き通すのが苦手と思われる首相だけに、和平・反戦派や地元住民の間からは、早くも不安の声が上がっている。
希望の訓練受けられず
長期的視点での「人材育成」を怠ったツケ…
失業者 介護・医療に集中 希望の訓練受けられず
記事と似たようなケースは、私も経験している。といっても私の場合は職業訓練校の入試で落とされたのだが。
ハローワークは自前で、職業訓練のための施設を持っている。学費は無料で、設けられているコースは、各ハローワークによって異なる。事務系だと簿記、医療事務など、工業系だとボイラー管理、溶接工などである。期間はコースによって異なるが、大体1〜2年ほど。資格取得を目指しているので、カリキュラムは朝から夕方までびっしり詰まっている。
職業訓練校の入試には、ハローワークに求職願を出している人間なら、誰でも受験できるが、競争率はコースによって異なるものの、おしなべて数字は高い。私は以前医療事務の資格取得を目指していたこともあり、都内の訓練校の医療事務コースを、地元訓練校の簿記コースを受験したが、どちらも不合格だった。
特に後者では、屈辱的な扱いを受けた。試験は筆記と面接という構成で、筆記試験は中学程度の学科試験だが、数学のできが悪くて難儀したことをお簿終えている。屈辱的な体験は、そこでの面接試験の時におこった。
面接試験は、受験生1名対面接官2名という形式で行われる。私の順番の時、なぜか試験官の1人はいびきをかいて、竿をこいでいた。起きていた方の試験官から、志望動機などに対する応答があり、私はそれに一生懸命答えているつもりだった。信じられないことは、次の瞬間におこった。寝ていた試験官が目を覚ますと、さっきと全く同じ質問を繰り返し、同じ答えを要求したのである。私はあっけにとられ、体中の血液が頭に逆流するのを覚えた。普通だったら、職務怠慢で糾弾されるケースであるにもかかわらず、その試験官は何事もなかったかのように振る舞った。冗談じゃない、受験生は、将来をかけて試験を受けているのだ。その大事な「儀式」に、居眠りするとは何を考えているのだろう?先に私に質問した試験官も、困惑の表情を浮かべていた…私は落とされた。結局、簿記の資格は自腹を切って取得したが、その資格を生かす機会がないまま今日に至っている。
シモキタ初見参
昨日、初めて「シモキタ」こと下北沢を訪れた。本当はくる予定はなかったのだが、新たに始めたボランティア先の仕事が早く終わってしまったので、時間が余ったのだ。そこは京王線沿線に事務所を構え、下北沢からも電車で5分以内にいけるので、いい機会だから、いってみようと思ったのだ。
小劇団関係者が憧れるという「本多劇場」があることから、この街は「演劇のメッカ」という見方で捉えられがち。でも実際に街の中を歩き回ると、個性的な店が多いことに気がつく。他の街でたくさん見かける「デパート」「大規模ショッピングセンター」というものは、この街には存在しない。スーパーは2つあるが、どちらも食料品、日用雑貨を扱う店である。
平日日中であるにもかかわらず、人の往来は激しかった。通りを行き交う人の多くは若者だった。目につくのは雑貨屋、洋服屋で、洋服屋は中古品を扱う店も目についた。値段はピンからキリまであるが、私の気に入ったデザインの服はあまり多くなかった。おそらく、今風の若者を意識した品揃えをしているからだろう。店員も、見た目は「ヤンキー」風の人たちが多かった。
街の中を適当にぶらぶら歩いていると、知人が訪れたという「農民カフェ」を発見。ここは有機栽培の野菜を使った料理がウリだが、その分値段も高い。店員のかけ声が「いらっしゃいませ」ではなく「お帰りなさい」だったのには笑った。まるでメイドカフェである。
もうひとつ気がついたのは、道路が複雑に入り組んでおり、ごちゃごちゃした印象を与えるということ。この街には再開発計画が持ち上がっているが、再開発で、これまでのごちゃごちゃした街というイメージを変えたいという再開発賛成派と、下北沢はごちゃごちゃしてなんぼという反対派が対立を続けている。この問題に下北沢駅の建て直し問題が絡んでいるため、両派の対立はにっちもさっちもいかない状態だ。ネット上でも論争が繰り広げられているので、実際はどうなっているのか確かめたかったのだ。












