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清水由貴子自殺
死んでから「SOS出してほしかった」といわれても…
「自殺」清水由貴子が発したSOS 日本社会に届くか
清水由貴子が芸能界を引退したのは2年前。
「芸能活動をしながら、老いた母親の看護はできない」
というのが、引退の理由だった。
彼女の母親は、長年糖尿病を患っていた。近年はその合併症で失明し、昨年は自宅で転倒したの原因で自力歩行が困難になり、福祉事務所から「要介護5」の認定を受けていたという。住んでいる自治体の介護サービスを受け、最近は自宅でケアマネージャーを交え、今後の介護プランを相談していたという。
とはいえ、家に引きこもって一日中「介護」をしても、先立つものがなくてはならない。芸能界引退後の彼女は、俗にいう「ハケン」で生計を立てていたそうだが、死の直前にはその仕事を辞めていた。
「介護疲れで心中」というニュースが飛び込んでくる度、関係者や識者はしたり声で
「相談してほしかった」
と口々に言う。だが死ぬ側にしてみれば
「あんたらなんか、私らの苦労は何もわからないのによく言うわ」
というのが本音である。
残務整理は面倒だ
今日「発行手数料」を支払ったことで、父が入院していた病院との関係に一区切りついた。
本当だったら、市役所で払ってくれるはずなのだが、うちの担当者は本当に意地悪だ。たぶん病院に
「支払いは、患者がしますから」
とか何とか言って、適当に言いくるめたのだろう。とんでもない輩だ。
父の闘病生活を見ていて感じたこと。それは今の医療制度が「社会的弱者」に対してあまりにも冷淡だということだ。
このBLOGで再三書いてきたが、私の父はがんに加え、認知症もわずらっていた。厄介なことに、がんの症状の悪化に伴って、認知症も進行していった。そのため看護師たちから迷惑がられ、再入院以降は我々家族を含め、彼女たちから「人を人と思わぬ」屈辱的な扱いを受けた。
この病院は「人間の尊厳を守る医療」をモットーに掲げ、父が入院していた病棟看護部のスローガンは「博愛と奉仕の精神を持って看護する」だが、ごく一部の人間を除き、そんなスローガンは影も形も見当たらなかった。医療関係者の多くは我々の陰口をたたいて楽しみ、本音と建前を平気で使い分け、自分の手に負えないことは家族に平気で押し付けた。彼らの多くは「ここは『がん専門病院』であり、認知症患者の世話はしたくない」という気持ちを、あからさまに態度で示した。ネットで「がんと認知症の世話をしてくれる病院を探しています」と質問したが、わかったのは、認知症がこれだけ騒がれているのに、高度医療機関では、認知症患者は疎外対象になっているということだけだった。
父への手紙
父さんへ。
父さんが天国に旅立ってから、早いもので3日が立ちました。
そちらの居心地はどうですか?
こちらにいる間、私は父さんにいろいろと迷惑をかけっぱなしでしたが
父さんも、みんなにいろいろと迷惑をかけていましたね。
お酒を飲んで、酔っ払ってわけのわからないことを言ってけんかになるのは毎度のこと。
母さんと口論するだけでは飽き足らず、時には手も足も出していましたね。
そんな父さんを見るたびに、私と母さんは辟易としていたものです。
手術後の療養生活でも、旗から見たらずいぶんとむちゃくちゃなことをしていましたね。
もうちょっと節制ができれば、長生きできたかもしれません。
もったいないよね、父さん。
我父昇天為骨帰宅
いよいよ、父とのお別れである。
生きているときはあんなにもうざったく思っていたのに、いざとなったらやっぱりさびしくなってくる。
父は冷たい骸となって、お棺の中に一人横たわっている。病院から葬祭場に運ばれる時は、寝巻きで運ばれたが、出棺のときは、白無垢の服装になっていた。
お棺の蓋を開けて、最後の挨拶をする。
棺の中に入れたのは、父が大好きだった背広、タバコ、そして報知新聞。報知新聞を入れたのは、生前の父が大のG党だったから。偶然にも、その報知新聞の一面は、これまた父が敬愛してやまなかった長嶋茂雄。巨人軍終身名誉監督の記事が掲載されていた。
父さん、これまでありがとう。
棺の蓋を閉めて霊柩車に乗せ、火葬場に出発する。
天国へ旅立つ
旅立ちの日は、突然やってきた。
私はいつもどおり、会社に向かう準備をしていた。
母は、親戚と父の容態について語っていた。
突然、自宅のキャッチフォンが鳴ったらしい。
母が電話を切り替えると、その顔色は見る見る変わった。
電話を切り終わって、母は私に向かって言った。
「お父さん、危篤になったって」
何てことだ!
その日は、会社に来年度の契約書を持参する日。
会社に電話して何とかしてもらうよう交渉するが、会社からはだめだといわれた。
郵送ではいけませんかと聞いてみたが、これもダメ。
ええい、ままよ。
腹をくくった私は、すぐさまに着替えと契約書をかばんの中に入れ、自宅を飛び出した。
いつもだったら送迎バスで会社に向かうのだが、今は緊急事態。
路線バスと徒歩で、会社に向かうことにした。
幸い、路線バスにはすぐに乗れ、思ったよりも早く会社に到着した。
寝たきり患者
父が「寝たきり」になった。
覚悟していたとはいえ、やっぱりショックだ。
母が父を見舞ったとき、その姿を見て愕然としたという。
歩けない。
しゃべれない。
意思の疎通ができない。
そういえば先週、父は担当看護師と一緒にエレベーターホールのソファーに座っていた。
看護師は
「気分転換にお散歩させてみました」
といっていたが、母はそれは違うと思ったらしい。
案の定、母の予感は当たった。
父が動けなくなっていたのは、徘徊防止の薬を投与されたからだ。
現実と幻の間
今日、父の見舞いに病院に行った。
今日は仕事が休み。
そういう日は、母は家事に専念し、私が病院に行くのである。
父はぐっすり眠っている。
起こすのはかわいそうだと、しばらく部屋にたたずんでいたが、せっかく見舞いに来たのに話をしないのもなんだと思ったので、父を起こすことにした。
ところが、どうやっても父は目が覚めない。
ゆすっても耳元で叫んでも、目が覚めない。
どうしたんだ?と思った刹那、やっと父が目を覚ました。
だが、父は私がきたことすらわからないらしく、すぐに目を閉じた。
それを数回繰り返した。
やっと私が来たことに気がついたのか、瞳を私の方向にむけて
「あー」
とだけいった。
慌てて病院にいったが
何のことはない、夜勤担当者が自分で面倒を見たくなかっただけの話だ。
夕べ遅く、病院から自宅に電話があった。
電話に出た母の顔が見る見る変わる。
電話を切った母は私の顔を見るなり
「一緒に病院にいこう」
といった。
タクシーを呼び出し、すぐに車内に入る。
運転手さんに行き先を告げると、事情を察してくれたのだろう。猛スピードで車を飛ばし、われわれを病院に運んでくれた。
急いで院内に入り、エレベーターに飛び乗る。
電話で看護師は
「見ていて苦しそうだし、お手洗いに何度もおきている。ベッドの上で飛び跳ねているので、家族の方に来てもらったほうがいいのではないかと思って電話した」
と告げたそうだ。
それを信じたわれわれは、父の顔を見て拍子抜けした。
父はわれわれを見て、こういった。
「やあ、ご苦労さん」
最後通告
この日はいつかやってくるだろうと覚悟していたが
いざ耳にすると、やっぱりショックである。
今日、母が主治医と会見した。
そして、その場でこう告げられた。
「ご主人様の寿命は今月いっぱい。長くて、来月の初めまでです」
昨日から、父の体には最終兵器「モルヒネ(正式には「塩酸モルヒネ」というそうだ)」が投与されている。
末期がん患者だけが使う、最強の痛み止め「モルヒネ」。
これが投与されるということは、もう助からないことを意味する。
母はかねてから、主治医や看護婦から
「モルヒネを使うようになったら、もう助からないという意味ですよ」
といわれてきた。
そして、とうとうその日がやってきた。









