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弁護士や医師と

2008 - 11/20 [Thu] - 21:45

 友達になれ、アメリカではそれが常識だ。
 その記事が掲載されたのは、20年来愛読している某夕刊紙だ。
 インターネットが普及し、特にあの忌まわしき「9・11同時多発テロ」発生以降、私はパソコン片手に今日はこの集会、明日はそちらの集会というように、興味がある集会に片っ端から顔を出し、その模様をパソコンに入力し、参加しているメーリングリスト(以下ML)に投稿しまくった。
 その結果、私の名前はネット上で展開される市民運動の世界において、多少は顔と名前が知られるようになった。旧知のNGO関係者以外に、医者や弁護士およびその卵とも交流を持つ機会が増えた。その冒頭で思い出したのが、この記事の言葉である。
 私に多少なりとも社会的な基盤があり、高度なコミュニケーション能力があったら、今みたいな惨めな生活は送っていなかっただろう。彼らと交際する動機の中に、彼らのおこぼれに少しでも預かりたい、女性だったら彼女たちの「彼氏」になり、あわよくば彼女たちの「専業主夫」になりたいという、卑しいスケベ根性があったことも事実である。実際、私がNGO活動に参加するきっかけになったのは、ある集会場で見たNGOのチラシに載っていた、女性弁護士の卵の顔写真を見たのがきっかけだった。
 しかし、世間は早々甘くなかった。

 彼ら彼女は、私みたいな人間を寄せない、寄せても受け付けないオーラを発していた。
 いくら「戦争反対」「貧困撲滅」を訴えたところで、「社会運動と生活(恋愛)は別なのよ」「あんたみたいな人間と、仲良くなるつもりはありませんから」という本音が垣間見えた。
 
 医者の卵たちとの飲み会に、2回ほど出席したことがある。
 機知に富んだ会話能力がある人間だったら、それなりに楽しい時間を過ごせたかもしれない。
 だが会話能力に乏しい私にとって、それらの時間は苦痛以外の何者でもなかった。

 彼らとの飲み会に、勝手にのこのこついていったわけではない。医者の卵が主催する集会があり、その打ち上げに参加しませんかと誘われたのだ。
 だが彼らが発する雰囲気に飲み込まれた私は、その時間を惨めな気分ですごすことになった。
 誘った当人たちにとっては、愉快な飲み会だったかもしれない。だが身分、育った環境、その他において彼らにコンプレックスを抱いている私には、拷問でしかなかった。
 最初の飲み会では、とうとう一言も言葉を発せずじまい。関係者から声を「1回だけ」かけられたが、それにも黙ったままだった。結局、その飲み会は「参加して、会費を払った」だけで、会がお開きになったと同時に逃げるようにその場を立ち去った。

 2回目は、それなりに会話を交わせたが、誘われたにもかかわらず、彼らからは「あんたは別の世界の人」という扱いをされた。会がお開きになったあと、集会はいくつかの小集団に分かれたが、私は社交辞令の挨拶もそこそこに、その場を立ち去った。小集団の誰からも誘われなかったのはいうまでもない。

 外気の氷雨が身に凍みた。
 惨めな自分がいやになった。

 医者の卵たちとのかかわりは、それ以外にも数回ある。
 そのうちの1回は某医大の学園祭。参加していた保健関係のMLでその医大の学園祭を知り、遠路はるばる参加したのだが…自分にとって、その世界はやっぱり「異次元」。そのことをMLに書いたら「どこをどうしたらいいのか教えてくれ」というレスが返ってきた。文字で表現できない、言葉ではどうにもならないことがあるということを、彼らは理解できないようだ。
 資格スクールでバイトしていたとき、土日が休みだったこともあり、暇を見つけては医大の学園祭に顔を出したが、人脈形成にはまったく役に立たなかった。

 難民問題の展示会が開かれたときに、参加していたML知り合った医者の卵たちとご一緒したことがある。そのMLはもともと医学生が対象だったのだが、私がそこのMLにいられたのは、そのMLにも集会の内容を送りつけていて、彼らの活動に理解がある人物と思われていたからかもしれない。幹部の一人は、多少なりとも私に敬意を払ってくれているようだった。
 だが、私と対面した彼らは、あからさまに「何だ」という顔をした。
 やはり彼女たちにとって、私という人間は理解不能な異次元の存在でしかなかった。一緒に行動しても、いつの間にか私だけ置いてきぼり。こちらが話しかけると、はっきりとではないにしても、それとなく「義理で相手してやっているんだ」という感じが見え見えだった。

 見てはいけないものを見た。 
 知ってはいけないことを知ってしまった。
 私にとって彼ら彼女たち「医者・弁護士の卵」たちとは、そういう存在に過ぎない。

 似たような雰囲気は、慶應の学生にも当てはまるだろう。
 昔の日記に書いたことを、ここでもう一度繰り返すことを許してほしい。

  「天は人の上に人を作らず……」という名言を残した、慶應義塾創設者・福沢諭吉。だが、彼が議会開設を主張したのは、どの階層でも自由に政治にコミットできるというご大層な動機ではなく、合法的に中国・朝鮮に侵略し、その手段として国民皆兵を主張するためだったということを知っている人間は、どのくらいいるのだろうか。ほとんどの国民は福沢諭吉のことを「学問のすすめ」の作者としか知らないはずだ。福沢の危険な思想は「つくる会」の教科書だけでなく、他の教科書でも取り上げられていない。私自身、彼がそのような思想の持ち主だったことを知ったのは、つい最近である。慶應の校章は、ペンと剣があしらわれている。福沢の「ペンは剣より強し」という言葉に由来しているのだが、彼の思想はその言葉と正反対。偽善以外のなにものでもない。
 そんなわけだから、私はこの学校の持っている雰囲気が大嫌いである。某資格学校のキャンペーンや、NGO主催の集会で何回か慶應三田キャンパスに行ったことがあるが、その度に彼らが生まれながらに持っている「慶應に在らずんば人に在らず」という雰囲気には身の毛がよだつほどムカついた。この学校は教員を「○○君」、学生を「塾生」、OB・OGを「塾員」、ゼミを「研究会」と呼ぶ。この習慣を独特と見るか、スノッブでイヤミな校風と見るかはその人次第だが、なじめない人にとってはこの上なくつらい環境だろう。

 そんな私にも、慶應の女子学生と「いい雰囲気」になるチャンスがあった。当時私が勤めていた某ファーストフードの店に、慶應の女子学生が新人バイトとしてやってきた。
 彼女はコーラスのサークルに入っており、クラシック音楽が趣味である私と趣味があったのか、その話で盛り上がった。やがて彼女から、所属しているコーラス団体のコンサートに招待される。
 冬の日の週末のある夜、喜び勇んで出かけたのだが、入り口で私は足がすくんだ。すでに演奏は始まっていたのだが、受付で並んでいた彼らの醸し出す雰囲気に、私は吐き気を催すほどの嫌悪感を感じたのである。何回か入り口付近を行ったりきたりしていたが、私が受付の中にはいることはなかった。

 翌日、彼女は「どうしてきてくれなかったのか?」という視線を私に向けた。だがその時はすでに、私の心の中では彼女の存在は、きれいさっぱり消えてなくなっていた。個人個人では彼女も、そしてあの日の夜、受付に並んでいた学生も「いい人」なのだろう。だが集団で「慶應義塾」というスノッブな雰囲気を漂わせている集団を、私はどうしても受け入れる気になれなかった。向こうも私の境遇を知ったら、おそらくまともに相手にしないだろう。
 彼女がアルバイトを無断欠勤し、そのまま私の前から永遠に姿を消したのは、それから2日後のことである。歴史に「if」は禁物だが、もし私が彼女といい雰囲気でいたら、今頃はどうなっていたのかとふと考えるのである。

 貧乏が故に、格差があるが故に、そして将来性がないが故に、知り合いになってはいけなかった階層の人間と知り合ってしまった故の悲劇。
 これは昔だけでなく、今存在することなのである。

  慶応義塾と医者・弁護士の卵たち。
 「平等・反戦・人権」を口にしながら、自分の利害関係に(それも、自己にとって不都合な部分では)微妙な部分では口をふさぐ人たち。
 昨年、高校教育を騒がせた「不正カリキュラム」問題。
 事件の背後には、高校で履修すべき範囲を超えた問題が平然と出題されているのに、このことを指摘する識者・当事者は誰もいなかった。当事者の中には、常日頃から「平等・反戦・人権」を口にしている人たちも多くいるはずである。世間は彼らのことを「偽善者」という。自分たちの都合の悪いところに口をふさいだままスローガンを唱えても、支援の輪は広がらないのに。
 自分みたいな、社会的影響力が皆無の人間が、BLOGというネット上のコミュニケーションツールでで愚痴をたらしても、何も変わらない。
 動きたくても、先立つものがないからどうしようもない。
 
 むなしい。
 切ない。

 いい年した中年男には、愛はいりません。
 愛よりも、欲しいものがあります。

 それは
 安定した身分と
 明るい未来

 そして何よりも大事なもの。
 今一番ほしいもの。

 この世で生きていく上において
 「人間」としての尊厳。
 
 

ちょっとうらやましいですよ

就職=県外に出る
しか選択肢のない地方在住の私にとっては、気軽に慶応の三田キャンパスなどに出かけられることがうらやましいです。

周囲との見えない壁、の存在はいつも感じさせられています。通常とは逆の意味で、学歴や資格がいつも就職等の際のハンディキャップとなっています。
私は高学歴(国内外の有名大学や大学院卒)の方とは普通にコミュニケーションが取れるのですが、地元に普通の人たち(多くが高卒、まれに地元の大学卒)からは常に距離を置かれて煙たがられます。ずっと県外にいたせいで地元の方言がほとんどしゃべれず、パチンコとか競輪とかのギャンブルの話題にもついていけません。
地元企業への就職を何度も試みたものの、いつも大学院卒というだけで煙たがられて退職に追い込まれてばかりでした。

地元の方言の話し方やパチンコの入門なんて、普通の書籍には載っていないのでかなり習得が困難です。
うーん。

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Author:PSILA
「平和」・「自由」・「平等」を愛する、ワーキングプア階層に属するしがない中年フリーター。
ひょんなことからボランティア精神に目覚め、某NGO主催のクルーズに参加したことがきっかけで「9・11」以降都内近郊で開かれた平和関係イベントに積極的に参加し、その模様をネットに公開するようになる。
このBLOGは、生活苦と闘うワーキング・プア中年男性フリーターの軌跡を綴るものである

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