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「海外特派員」の裏事情

2009 - 09/28 [Mon] - 10:48

 20日に開催された、伊藤千尋トークショー「奇聞総解」の第3回目報告。
 今日は、彼が海外特派員になったきっかけと、特派員の現状についてお知らせしたい。

 国内で仕事に打ち込んでいたある日、朝日新聞の外報部長が伊藤氏に「中南米特派員」の話を打診してきた。伊藤氏の前に内定者がいたのだが、諸々の事情で流れてしまったのだ。彼に白羽の矢が立ったのには理由がある。彼は大学時代にキューバで砂糖狩りをして、スペイン語を学んだ経験がある。その経験を生かすため、彼は履歴書に「自分はスペイン語ができます」とアピールしていたのを、外報部長が覚えていたのだ。
 当時の海外特派員は、外国語学部or外国語大学でスペイン語を専攻した人間が、社内研修を受けた後に赴任するシステムだった。当時の南米支局はサンパウロに拠点を置き、3人チームが5つあり、ローテンションを組んで南米各国をあちこち回っていた。ところが、ここで問題が発生した。履歴書で「自分はスペイン語ができる」と書いた伊藤氏だったが、すでにこの頃はスペイン語を忘れてしまっていたのである。当時の特派員仲間は英語が堪能だったが、自分は当時英語が全くできなかった。外国人の電話は全部外報部に回される。学生アルバイトも英語で応対するが、自分はなにもできないと、内心忸怩たる思いだったらしい。英語で対応するアルバイトの姿を見て、何とか対応しなければならないと思っていたそうである。
 特派員に決定した当初は「オレにつとまるのか?」と不安だったらしい。南米支局に赴任途中、ニューヨーク総局に挨拶のために立ち寄った。機中で旅行者の人が何か英単語をいったが聞き取れず、あとで調べたら、その単語は中学レベルの単語だったことを知って愕然としたそうだ。 スペイン語も忘れた上に英語のレベルも怪しいのでプレッシャーを感じた伊藤氏はプレッシャーで夜も眠れず、乗っていた飛行機が落ちてしまえなどと物騒なことを思っていたそうだ。ところが、ニューヨーク到着直前に見た夜明けの五大湖のすばらしさに感動し、一転して「オレの将来は明るい」と思ったというから、なにが幸いするかわからない。
 ニューヨークにある近代美術館で、たまたま見た写真に伊藤氏はびっくりした。その写真はヨセミテ公園の写真だった。その写真を見て彼は「写真は、人間に感動をもたらせるのかと」思ったそうだ。その写真を撮影したアンセル・アダムズは、この写真を撮るために1年、365日公園内を歩き回って1枚の写真を仕上げたという。彼は写真の詩人といわれたそうで、それを知った伊藤氏は「だったらオレは新聞の詩人と呼ばれるようになろう」と決意した。こうして、彼の南米特派員生活はスタートしたのだった。

 伊藤氏が赴任した当時、朝日新聞の他に読売新聞と毎日新聞が特派員を送っていた。前者は百戦錬磨のベテラン、後者はスペイン語が堪能だったから、こんな連中とまともに戦っても勝てない、それだったら誰よりもたくさん現場に足を運んで、読者を感動させる記事を書こうと、彼の闘志に火がついた。実はベテランの特派員ほど現場に足を運ばず、外電から記事を作成する。たまに取材するときは電話取材で、ほとんど現場に赴かない。伊藤記者は現地にいた3年間、3ヶ月おきに飛行機に乗っていた。取材範囲はメキシコ以南で、しかも当時はニカラグア内戦の真っ最中で、本当に忙しかったという。
 総支局のあるサンパウロからニカラグアに行くには、かなりのエネルギーを要した。サンパウロ→リオデジャネイロ→マイアミ、マイアミ到着は翌日未明。さらにそこからメキシコ→中米各国に到着する飛行機を乗り継ぎ、やっとの事でニカラグアに着いた。サンパウロから足かけ2日かかる旅程である。
 ニカラグアでは、’84年の夏に革命記念集会の取材に行った。当時のオルテガ大統領が演説したが、しゃべっている内容が全くわからないが、2時間後にはニュース原稿にしなければならない野で焦った。英語ができるアメリカ人記者を捜してまわり、演説内容を片っ端から聞いてまわった。結局3人にインタビューし、その共通点と自分が見た光景を織り交ぜて記事にした。さすがに心配で自信が持てなかったので、通信社に記事の内容を確かめたりしたそうである。
 革命記念集会を取材したあと、5時間ほどかけて、紛争が行われている現場の取材に行った。そこで戦況を聞いてまわり、一番激しい地帯に行く。周辺は、大砲がぼんぼん弾を撃っている。そのそばに、自動小銃を持った12歳の少年兵がいるを見た。。徴集されたのかと聞いたら、勉強したいけど戦争が終わらないと勉強できない。だから戦争を終わらせるために志願して戦地に行っていると答えた。彼の夢は海洋生物学者だった。夢を叶えられるよう頑張れよと答えたが、あの少年は今どこでなにをやっているのだろうか。
 日本の小学校、中学校で自分の夢を語れるやつはいないと、伊藤氏はその頃をしみじみと振り返った。初めて紛争地取材を経験し、戦争って厳しいと思ったが、あちこちの戦場を歩いた伊藤氏は、その感想が極めて甘かったことを痛感させられた。そのことを踏まえて、彼は断言する。
「ニカラグアの戦争はヤワな戦争だ」と。
 ニカラグア人は、お互いに死にたくないから、知らず知らずの間に戦場のルールを作っていた。大砲を撃つ時間も決めていたのである。信じられないが、本当のことなのだ。だが本当の戦争は、ルールもへったくれもない。そこで展開されるのは「生きるか死ぬか」の瀬戸際で展開される、ぎりぎりの状況だった。彼はその後取材したエルサルバドルをはじめとする南米各国で、そのことをいやというほど痛感させられることになる。
 では、南米で起きていたこととはいったい何か?
 それはまた、次回改めて…

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Author:PSILA
「平和」・「自由」・「平等」を愛する、ワーキングプア階層に属するしがない中年フリーター。
ひょんなことからボランティア精神に目覚め、某NGO主催のクルーズに参加したことがきっかけで「9・11」以降都内近郊で開かれた平和関係イベントに積極的に参加し、その模様をネットに公開するようになる。
このBLOGは、生活苦と闘うワーキング・プア中年男性フリーターの軌跡を綴るものである

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