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激動のルーマニア’89

2009 - 10/14 [Wed] - 10:14

 9月20日に開催された、前朝日新聞記者・伊藤千尋氏のトークショー「奇聞総解」。
 最終回の今日は、日本から帰ってきてベトナムへの取材旅行、’89年におこった激動の時代のヨーロッパについて語って戴きます。

 中南米から帰ってきた時にできた雑誌がAERAだった。日本のタイムを目指したが、雑誌編集は未経験で、長い記事を書いたことがなかった。当時の編集長が好きにやろうという方針だったので、ベトナムに行ってみたい、あのベトナムがなぜアメリカに勝てたのか、北から南までインタビューしてベトナム戦争に取材したいと思ったら、企画が通ってベトナムに取材することになった。事前準備・取材活動・記事をまとめる作業に各2週間かけた。
 戦争終結で、兵隊は皆失業者になり、賠償金はアメリカからもらったわけではない。当時の軍隊は皆会社になった。部隊長が社長になった。資本主義なんか経験していない。なにを作ろうかというので相談したら、ギターを作ろうということになった。夜ギターを弾きながら「頑張ろう」と団結していたのを思い出し、ギターを作ったけど売れなかった。考えてみればそれは当たり前で、これから社会復興しようというのにギターなんか売れるわけがない。それだったら、自分達の服を縫っていたで消耗品を作ろうということでシャツを作った。売れたが国内ではあまりお金にならない。金を持っているところに売ろう、なにをやったら売ろうというので調査のために派遣し、現地を見て下した結論が「高級家具を作ろう」だった。当時のタイは好況で、ルイ14世風の家具を作ったら売れるだろうとなった。政府が復興したわけではない。自分達で自分の経済を立て直した。
 現地でも、ベトナム戦争で被害にあった家族に取材した。一生懸命答えてくれたけれど、ところどころ言葉に詰まるところがあった。それを見て、記者としての初任地である長崎のことを思い出した。
 思い出して他人にしゃべるというのは、被害者・犠牲者にとってはつらい作業だ。何度も何度も同じことを聞かれる側は、その度につらい、思い出したくない記憶を蘇らせなくてはならない。それは、聞かれる当人にとってはとてもつらいことだ。長崎の被爆者も毎年8月になると、メディア各社から原爆について同じことを聞かれる。これでは、答える方だってイヤになる。当時は、そのことに気がつかなかった。

 1989年、ベルリンの壁が崩壊した、誰か東欧に行けというので志願した。起きた革命は見たくない、これからおきるだろう革命を見たいと思って、チェコとルーマニアに行った。
 チェコの革命勝利集会を取材してタクシーに乗ったら「ルーマニアで革命が起きた」と聞いて、国際列車に乗ってルーマニアに向かった。ラジオなんか持っていないから革命が起きたかどうかわからない。紙が散らばっているので見たら「チャウシェスク語録」だった。その本が引き裂かれてちらばっている。それを見て「革命はほんとに起こった」と実感した。ルーマニア人と討論して現地に行ったら、革命戦争の真っ最中だった。タクシーなんかない。家財道具を積んで逃げる避難民がたくさんいたので、無理矢理頼んで20代大学の教授に「一番激しいところにいってくれ」と頼んだ。そこへ戦車がやってきた。相手は「あれは味方だ」と言った。取材しようと思ったら銃撃された。目の前の市街戦はすごかった。
 20人くらいの人がワーワー騒いでいる。あそこに行ったらネタになるだろうと思っていた。頭は行きたいと考えていても、カラダがいうことを聞かない。やっぱり怖いのだ。その時予備校生が私の助手になってくれた。外国人は街の動静なんか知らないから、自分が案内役をしてしてくれた。怖くて震え上がっていると、突然彼が
「武士道・葉隠れ」
と叫んだ。まさか、ルーマニアでそのような日本語を聞こうとは思っても見なかった。現地で日本語のアニメが放送されており、彼はそのアニメのファンだったのだ。それで彼は「武士道・葉隠れ」という言葉を覚えたのだという。対面した兵士20名は武器を持ってない。ルーマニア人の子供に言われて引っ込みがつかなくなり、「バカヤロー、お前死ね」一生懸命叫んだ。兵隊はボーッとしているのを見た、指揮官がいない軍隊を見つけると、自分達の味方に引っ張り込んだ。司令官がいないから、兵士達はこれからどうするかを自分達で話しあわなければならない状況だ。その連隊の兵士達はその場で「これから革命派になる」といい、独裁派に対抗した。
 革命は司令部ができるわけではない。暴動になり、そこから集団がが出てきて革命が起こる。
 朝4時に日本大使館から連絡が入った。今すぐ逃げてくれ、戦況がひっくり返って、外国人が殺される、日本大使館は逃げるからあんたも逃げてくれと言われた。自分は現地に残るといったら、アメリカ大使館が、海兵隊が先導して逃げるというのである。アメリカ大使館が逃げる、海兵隊が逃げる、これはCIA情報だ、そこで非常時になったと思ったが、取材したいから逃げないといったら、大使館員がホテルの自分の部屋にやってきて「逃げてくれ!」と説得した。NHKの取材クルーはパリから飛行機をチャーターしたが、現地の混乱している状況を見て怖じ気づき、取材しないで逃げるという。現地の空港は、すでに閉鎖されていた。NHKのくルーは
 「僕には妻も子供もいる。こんなところで死ぬわけにはいかない」
と叫んだ。伊藤氏は
 「世界の中心で我我が今起きていることを書くことができる、私は残る」
といった。あの時はほんとに怖かったけど、翌日入ってきたのが「チャウシェスク処刑」だった。独裁者を殺したのは意味があったのだ。その一方を聞いて、泊まっていたホテル従業員と手を取って喜んだ。
 その後国内勤務を経て、バルセロナ支局の支局長になり、ユーゴとオリンピックの取材に行った。
 オリンピックは楽しかった。古賀稔彦の試合をを見に行った。彼は試合で負傷して足が痛そうだったのに、試合が始まったら弱みを見せなかったのを見て感動した。
 マラソンの取材にも行った。日本の選手が本命といわれていて、新聞もそのつもりで予定稿を作っていたが、。ゴールと同時に倒れ込んだ選手は韓国のランナーだった。ところが、誰一人としてその選手のデーターなんか持っていないから、データーを探して求めて現場は大騒ぎになった。会場には戦前のマラソン選手が来ていた。その選手は、日本が韓国を植民地として統治していた時代に、韓国・朝鮮人であるにもかかわらず「日の丸」をつけたシャツを着てマラソンに参加し、「日本代表」として金メダルを獲得した選手だったのだ。
 戦後韓国は日本から独立したが、記録は「日本」となっているため、記録の変更を要求して各方面に働きかけていたのだ。韓国人の選手が金メダルを獲得した光景を見て、その老人はがおいおい泣いている。優勝した原動力は何だと聞かれ、1位でゴールしたそのランナーは「憎(ハン)」だといった。あれが日本人を追い越す原動力になった。日本人通訳がそれを聞いて「今はそんな時代じゃない。一緒にやっていこうよ]と彼に叫んだのを見て、時代が変わったと思った。
 取材したことは伝えたい。しかし、今のメディアは伝えて欲しいことは伝えない。長崎にいったとき、「今の朝日はなにをやっているんだ。新聞を変えた」と言われた。OBとしてつらかった。川崎支局勤務を経て、シンポジウム事務局をやった。その時に考えた標語が「本業会社員、副業ジャーナリスト」だった。
だったらメディアを作ろうと思っている。
 日本で新聞を作るのは現実ではない。朝日は創業以来の赤字を記録し、他の新聞も経営が苦しい。新聞業界全体で、広告費は毎年1割減っている。リストラ計画もあり、記者が減っている。ネットになるか、新聞になるかわからないが、一緒にやりたいというjひとがいたら、やっていきたい。
向こう1年間は嘱託になるので、その間に方向性を決めたい。

 9月20日のトークショーの様子はこれまでです。
 私が記録したメモをもとにして記事を作っているので、一部分で違っているところがあるかも知れないということを、あらかじめお断りしておきます。
 伊藤氏を見ていて感じるのは、つくづくタフだなということ。
 平日は朝日新聞の業務で忙しい日々を送り、週末・祝日は講演活動で全国を飛び回る日々。
 時にはピースボートに「水先案内人」として参加し、船の中で平和の尊さを参加者に説いて回る。
 常々「是だけブログが盛んになっているのに、なぜ伊藤さんはブログを書かないのだろう?」と疑問に思っていたのですが、「かかない」のではなく、時間がなくて「書けなかった」んですね。でも、ネット上で意見を発信するだけより、直煮であって討論するほうが、ずっと健全だと思います。
 伊藤氏はメーリングリストも運営しています(夫人が管理人をされています)ので、直に彼の声に触れてみたい方は、是非参加してみてはいかがでしょうか?参加方法は、HPに記載されています。

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PSILA

Author:PSILA
「平和」・「自由」・「平等」を愛する、ワーキングプア階層に属するしがない中年フリーター。
ひょんなことからボランティア精神に目覚め、某NGO主催のクルーズに参加したことがきっかけで「9・11」以降都内近郊で開かれた平和関係イベントに積極的に参加し、その模様をネットに公開するようになる。
このBLOGは、生活苦と闘うワーキング・プア中年男性フリーターの軌跡を綴るものである

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