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若宮啓文氏@水俣・1

2010 - 03/02 [Tue] - 10:54

 2月23日、明治大学において水俣・明治大学展プレ・スタディーズ第3回目。
 今回の講演者はは元朝日新聞論説委員・若宮啓文氏である。
 講演に先立ち、映画「水俣病-その20年」が上映された。映画の内容と、上映に先立って行われた主催者挨拶のようすは、こちらのブログを参照してください。奈緒、氏の発言は私のメモを元にしているので、ところどころ食い違っているところがあるかも知れないことを、あらかじめお断りしておきます。

 若宮氏の講演ここから
 私がここに来たのは、私が水俣フォーラムの会員ということだ。会費を納めている以外に接点がないから最初は断ったが、是非にと言うことでここに来た。なんだかおこがましい。
 私は若い頃に部落差別の取材をし、韓国に取材でいたこともあり、支配・加害関係をずっと見てきたことので、水俣を取り巻く問題と関係あるなと思った。報道する側、される側の事情も、この問題では避けて通れないと思う。
 私は水俣を訪れたことがない。気軽にいけるところでもなく、担当してないから気軽にいけない。水俣フォーラム会員なのに現地に行ったことがない。水俣フォーラムでは過去何回も現地訪問スタディーツアーを開催しているのだが、日程が合わなくて行くことができなかった。今日この会場に来ている人で、ほんとに若い人はこの問題についてあまり知らない人もいるのだろう。だから皆さんとあまり遠くないところとお話ししたい。知っている人は苦痛かも知れないが勘弁して欲しい。   
 この映画ができたのは水俣病が公式に「発見」されてから20年後である。存在が明らかになったのは’56年で、この映画はそれから20年後の記録である。
 よく「55年体制」といわれるが、長く日本の政治を牛耳ってきた自民党ができたのがその頃であり、それと同時にこの問題が出てきた。’76年というのは、日本中大騒ぎになったロッキード事件が起こった年である。その年にこの映画ができた。水俣病は一部では関心を持たれていたが。この年は「政治の季節」だったんだなあと思う。自分はこの年に政治部に来た。この映画を撮った土本さんは直接知らず、彼は一昨年亡くなった。彼は折に触れて水俣をテーマに活動された方だった。
 この映画をは教材として優れたものだと思う。この映像をよくぞ撮られたと感じた。過去の蓄積もあるが、これだけ患者のリアルな姿、それも実名が入っているから、時代背景を考えただけでもすごい。作る過程というのは、完成品よりも沢山素材フィルムがあるはずだ。

 私は被差別部落問題を長年やってきたが、先方から興味本位で記事にするのか、それだったら協力できないし、差別の種にされるがそれをどう思うかといわれたことがある。全く解放運動のない地区では、入り込んで口にされるだけで戸を閉められる経験がある。つまり、この問題は世間に曝すことができない、ということだ。親御さん達はこの問題に関わることで、我が子をある意味で曝すかも知れない、そのことの葛藤があると思う。
 土本さんの書かれた本を見つけて読んでみた。その本には、彼が初めて水俣病のことについて書いてある。やはり彼も、最初の頃は強烈な拒絶にあったという。そのため、ケースワーカーを追いかけ、彼らを追いかけて撮影する手法をとっていた。勘違いから、ケースワーカーを撮ろうとしたら、庭先に子供がいたため、家族から「隠し撮りして!」と非難されたこともあった。とても映像を撮ることの罪深さを感じた。
 そういう体験は原田正純さんのような医者達も体験した。ある時期患者さんの家を訪ねたりした時に、家族から拒絶された。家族から「センセイもグルだろう」といわれた。当人達はよかれと思って入っていくのだが、患者を診たところで治療のしようがないからどうしようもない。水俣病は、根本的には良くならない。認定される可能性も低いからだ。いろんな人が来ると、後から報道陣が写真を撮ったり、集落にやってくると、他の地域の住民から「おまえらのおかげでイメージが悪くなるから」と非難されたそうだ。それでもこの映画が撮れたのは、いろんな人の協力があったからだろう。
 私は水俣と関わりを持っていないが、私の周りには、この問題を知っている人が何人かいた。その代表的な人がユージン・スミスで、彼は水俣に深い関わりを持っているが、彼が撮影した写真にお母さんの写真がある。こういう写真をさらけ出すお母さんの気持ちは、スミスとの深い信頼菅家があったからできたのだろうし、この子を示すことで水俣を訴えようと自己変革していったのではないか。
 不当な部落差別に耐えている人も少なからずいるし、こういう人は「うちは関係ない」というのだが、そういう人ほど差別される、子供が成長した時に差別を受けて大変なことになるとおびえている。隠しておびえるより、自分達が悪いことをしているわけではないから訴え、戦っていこうと意識が変わったことで、半分差別意識から解放されるという話を聞いた。差別に対する抵抗力を持つ、確信して訴えることで、差別に打ち勝っていくことに生き甲斐を見いだすといわれたことがある。
 デモがあったとする。初めてゼッケンをつけてデモ行進をする時は足が震えるという。なぜなら、それは自分が部落民だと触れ回るものだからだ。だがそこから変わっていかなければならないと訴える。
 だが水俣は隠してどうこうなるものではないから深刻だ。お母さんは子供を連れて上京し、公害審議会に子供を見せたりしている。私はこの話をするにあたり、知らないとはいえ話にならないから、予習をしてきた。アイリーン・スミス夫妻の本を借りて読んだ。お母さんが子供のことを「子供は宝の子ですたい。お腹にいて、毒を全部すってくれた。生まれてきて、自分はそんなに被害を受けなかったが、この子が全部吸い取った。他のこには害が出ないですんだ。みんなこの子が吸い込んだから宝の子なんです!」
 …何とも考えさせられるセリフだ。お母さんにいわせれば、自責の念、自分が産んだ子、自分の食べた魚の害が全部この子にいってしまった。自分が食べた毒を背負い込むのならまだ納得いくが、この子が全部吸い取った。だから宝物のように看病したのだろうと思う。
 その親子の感情は第三者からうかがい知れないが、水俣フォーラムに患者の話が載っている。この子もけいれんが激しく、一時は長くいきられないだろうと思って施設に入れていたのを自宅に引き取り、子供を慈しんでいく。映像を見たらわかるとおり、ああいうけいれんだから2~30分おきにけいれんが着て、全身汗びっしょりになる。点滴を打たなければならないが、点滴の針が抜けてしまうため、終わるまで抱えているが、それでも針が抜けるために全身は針痕だらけになってしまった。あまりにつらいから、娘にこんなことやめようといったら、娘は首を振った。その時私は自分の浅はかさを知った。どんなに苦しくても、この子は生きようとしているんだ、と。親が年取ってくるのが心配なのか、母さんが旅立つ時は私も連れて行ってといったそうだ。(続く)

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Author:PSILA
「平和」・「自由」・「平等」を愛する、ワーキングプア階層に属するしがない中年フリーター。
ひょんなことからボランティア精神に目覚め、某NGO主催のクルーズに参加したことがきっかけで「9・11」以降都内近郊で開かれた平和関係イベントに積極的に参加し、その模様をネットに公開するようになる。
このBLOGは、生活苦と闘うワーキング・プア中年男性フリーターの軌跡を綴るものである

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