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若宮啓文氏@水俣・3

2010 - 03/04 [Thu] - 11:33

 2月23日、明治大学において水俣・明治大学展プレ・スタディーズ第3回における、元朝日新聞論説委員・若宮啓文氏の講演(要旨)の3回目をお送りします。

 朝日は水俣をどう伝えていたか?最初は猫がテンカンを起こしているということから騒ぎが起こった。これは1954年のことである。地元の新聞がそれを伝えているが、水俣の猫がテンカンで全滅、猫が発狂したため、ネズミが大量に増えたために住民が悲鳴を上げているという話を伝えていた。それが第一報だ。当時の報道を見ると、水俣駐在の朝日新聞記者もこの記事を取り上げたが、ボツになったと明かしている。当時はこんな騒ぎになるとは知らなかったが、テンカン騒動が人間に拡大したとして報道されるのは1956年5月1日で、これは西日本新聞に掲載された。続いて熊本日々新聞に掲載され、一ヶ月遅れで朝日にも記事が掲載された。当時は発狂者という言葉が見出しに踊っていたが、表現上の問題がある今ではほとんど使われない。当時は水俣に伝染性の奇病だと報道された。 残念ながらこの記事が載ったのは九州一円、山口県を管轄する西日本版だけで、全国版には掲載されなかった。今にすれば歴史的な一報だが、これが全国版にのなら買ったのは反省材料である。これが水俣湾だったら、おそらく大騒ぎになっていただろう。今でこそ地域主権といわれるが、地域格差が報道面に表れ、1959年7月に朝日新聞がスクープ記事を掲載したが、これも本社版には掲載されなかった。しかも同年11月には、水銀説を否定する記事が掲載された。当時は著名な学者が「水俣病の原因は水銀ではない」と発表したことで、「地方の学者よりも東京の学者のほうがえらい」という雰囲気があったのだろう。これは朝日だけの問題ではない。
 チッソが当時患者に払った見舞金も問題がある。会社が払った見舞金・年金も微々たるもので、当時と貨幣価値が違っていたのだが、当時はいろんな説が出てきて、そんな中で患者さんも亡くなり、子供が病気になれば経済的に大変という切羽詰まった状況であり、経済的にも立ちゆかなかった人たちが見舞金を受け取った。チッソは見舞金を払う時、こともあろうに「将来後遺障害が出てきたとしても、チッソとは関係ない」という一文を加え、それを当時のメディアは「円満解決」と報道した。報道の責任は重い。水俣がここまで広まったのは報道のおかげだが、いろんな意味で教訓になったと思う。

 以下、質疑応答(要旨)

 Q:講演タイトルの中に「私たち」の文字が入っていたのに、実際の講演では、第三者が全く入っていなかったと印象を受けた。狭い枠内の話しかしていなかったが、水俣病が起こった時の世論を聞きたかった。

 A:私の話が拙いのは「ごめんなさい」というしかない。

 ここで、主催者からの補足説明があり。
 「自分のことと考えられるのかということもあるが、問題がでかすぎる。私たちは加害者ではないのかと言えるのか?ということは考えて欲しい」
 「若宮さんは被差別意識、韓国問題と絡めて話してくれた。それは聞き手の能力、理解度もあると思う」

 Q:患者が経営陣に抗議するシーンが記憶に残った。あの頃私も若かったから、自分も抗議したことを思い出す。あの人達の怒りがわかるし、経営陣のエリート社員の気持ちもわかるが、対話をしなければならない。そうすれば冷静に言葉を探らなければならないが、間に立つ人がない、国家はどこだ、市役所はどこだ、県庁はどこだ!町内会といった人たちの姿が見えない。チッソはふんぞり返り、被害者は放ったらかしにされ、救いようのない姿に憤りを感じた。あなたはどう思うか?  

 A:おっしゃるとおりだ。最近は部落でも激しいものがなくなったが、糾弾集会が行われ、事件が起きた時に糾弾集会が講じて刑事事件が起きるのは、どれも一緒だ。理詰めでやれればいいと思うが、自分の子供がああいう目に遭っている、自分の父が死後も認定されず、原因が特定されてないと跳ね返される中で、ああいう感情になるのは自然なことだと思う。聞き取れないこともあるのは残念だが、そこでの叫びは作られた演出ではなく、心からの叫びだと思う。石牟礼道子さんのインタビューの中に、ああいう激しい糾弾的なことが行われた次の日、株主総会に位牌を出して「これが良心だ、どういう死に方だったと思うか」と経営陣に詰め寄り、その人は石牟礼さんに
 「狂うたくる歌、思う存分来る歌」
といったという。石牟礼さんは
 「一世一代のお芝居だ。そのくらい無残な日々を送ってきた。あの場で、命がけで来るって見せた」
と書いてある。
 当時の経営陣も葛藤を抱えていたと思う。上層部が責任を認めようとする動きに、ほかの会社幹部が止めることがあったようだ。
 患者達の背後には、原田さんや土本さんのような役割もあったろうし、患者さんは自分達だけでなく、多くの人たちの理解と協力があったからこそと思っている。若い人が引き継ぐのも勇気があるが、そうすることで自分達も生まれ変わる。それができるのは、全国の協力者がいるからだといっていた。 近代日本を作った公害病は、現代文明の負の側面だったのは事実だ。我々はそのなかで文明を享受しているが、そのことを忘れてはならない。なにかできることがあれば、精神的なサポートでも何でもやろう。救いのない中でそれがあるとすれば、我々の存在だろう。
 私はなにもやっていないので、そういうことを言うのはおこがましい。

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Author:PSILA
「平和」・「自由」・「平等」を愛する、ワーキングプア階層に属するしがない中年フリーター。
ひょんなことからボランティア精神に目覚め、某NGO主催のクルーズに参加したことがきっかけで「9・11」以降都内近郊で開かれた平和関係イベントに積極的に参加し、その模様をネットに公開するようになる。
このBLOGは、生活苦と闘うワーキング・プア中年男性フリーターの軌跡を綴るものである

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