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三浦元社長が自殺
そして、ミステリーの数がまたひとつ増えた。
三浦元社長が自殺 移送当日 ロス市警の留置場
この事件・騒動が起きたとき、管理人はちょうど中学・高校時代に当たる。
連日ワイドショーがこの事件をひっきりなしに流していたので、私は「よくもまあ、あきもせずに」とうんざりした気分でテレビを見ていたのを思い出す。
事件が起きた当時、ヘリコプターから運び出される妻に向かって泣き叫ぶ彼の姿を、今も鮮明に覚えている。それから4年後、週刊文春が「疑惑の銃弾」という記事で連載記事をスタートしたことから、メディアは彼のことをあれこれ書き立てる大騒動になった。
ビデオ店放火殺人
犯人がやったことは許しがたい。
だが、この事件を生んだ背景について、メディアはもっと突っ込むべきだ。
1万円貸してと知人に土下座
ビデオ店放火の小川容疑者
時間が経つにつれて、この容疑者もまた「時代に翻弄された人間」と思えるようになった。
高校を卒業し、人をもうらやむ会社に就職し、家庭を持ち、自宅を購入するなど、順風満帆の人生を送っていた容疑者。
ところが会社をリストラという形で追い出され、再就職もうまくいかず、家庭も崩壊、自宅も出て住居を転々とし、ギャンブルにのめりこんで借金で首がまわらなくなり、最後にヤケになって事件を起こすという人生は、絵に描いた「転落の構図」そのものである。
これらのトラブルや不幸が積もりつもり、容疑者の精神状態は悪化の一途をたどっていった。
こんな事件があるたびに、識者が発するお決まりのコメントに
「誰かに相談できなかったのか?」
というのがあるが、他人に相談できないからこんな事件が繰り返されるのである。こういうコメントが出ること事態、他社への思いやりがない証左といえるのではないか?
東大、禁止農薬でコメ栽培
「三笠フーズ」みたいな会社が出てくるということは、官僚養成機関の教官も、似たような思考の持ち主だろうと思っていたら、案の定…
東大、禁止農薬でコメ栽培 97−99年 農場実習、住民に販売
信じられないことに、この施設で生産された米は、近隣住民だけでなく、生協などの小売店にも売られていたという。
使われていた農薬は、30年以上も前に使用禁止されていたにもかかわらず、関係者によれば「病気対策として、つい使ってしまった」などと、言い訳にもならないことを言っている。
農薬残留米消費問題
これは、中国の「毒ギョーザ」事件よりもたちが悪いぞ。
汚染米、保育園にも 京都 農薬残留、大半は消費
「汚染米」とは、倉庫で保管中に何らかの原因で袋が破れるなどして汚れたお米のことである。当然食用にはまわせず、接着剤などの工業原料や飼料用に使うことを前提に、各業者に販売される。
事故米の販売方法は、事故米の発生時に、各地の農政局や農政事務所が告知し、申し込んだ業者から見積書を提出してもらい、その上で随意契約する。販売価格が50万円を超えた場合は競争入札になるが、そうなるケースは極めてまれだそうだ。
今回不祥事を起こした「三笠フーズ」は、事故米を「食用」と偽って販売した。そのため酒蔵、食品加工業者だけでなく、病院、老人施設、果ては保育園までに被害が及ぶ結果になった。
宮崎勤死刑執行される
そして多くのなぞが残された。
連続幼女誘拐殺人 宮崎勤死刑囚らの死刑を執行
「おたく」という言葉は、この事件を境にその意味合いがまったく変わってしまった。
もともとは、趣味の世界で同好の士に対する挨拶の言葉で、そこには趣味の範囲において広範な専門的知識を有し、仲間内からも尊敬の念を持って見られるというニュアンスを含んでいた。
ところがこの事件の犯人である宮崎は、たまに実家の家業を手伝う以外は自室に引きこもり、社会との接触を立ち、自分の世界に引きこもっていたため、この事件以降の「おたく」という言葉は「社会性を持たず、自分の趣味に没頭し、自分の世界に引きこもっている異様な人々」というニュアンスがこめられるようになった。事件をはさんで、正反対の意味を含むようになってしまったのである。
秋葉原通り魔事件の識者コメント
今週号の「週刊朝日」で、有識者が秋葉原通り魔事件に関してのコメントを寄せている。個人的な感想を言わせてもらえれば、1人を除いて、この事件の本質をずばり突いているなと感じた。
早稲田の池田清彦教授は、今の時代ほど窮屈さを感じることはないと嘆いた。一度失敗したら敗者復活はありえないということを言いたいのだが、私自身も常日頃感じている。親しげに話しているそばから、他人のことをじっと見ているその目つきは「隙があったら陥れてやろう」という表情をたたえている。だから気の弱い人間は、他人に対して身構えてしまう。そのことを知人に言っても「それは気の回しすぎだろう」という人がいるが、そういうことを感じたことがない人間は何とでもいえるのだ。
容疑者家族の手記
今週号の「週刊現代」に、秋葉原通り魔事件の容疑者の弟が手記を寄せている。記事に目を通して、私は違和感を持った。
容疑者の弟は、手記の中で容疑者を「犯人」とか「あれ」と言っている。家族からすれば当然の反応なのだが、問題はその内容である。手記の中で、弟は母親のことを「これでもか」とばかりに罵倒しているのだ。
生い立ちを犯行動機にするな!
とどのつまり、犯人は己に負けたのだ。
生い立ちへの不満供述 秋葉原殺傷 加藤容疑者身辺整理し凶行
青森では、実家の両親が謝罪記者会見を開いたそうだが、そんなことをやって何の意味があるのだろうか?家庭環境が同であれ、容疑者は立派な大人であり、両親が出る幕はないし、謝罪会見を開かせるほうもどうかしている。こんな意味のないパフォーマンスは、いい加減やめたらどうだろう?
川田亜子アナの死に思う・その2
769,000件。
川田亜子アナが衝撃的な自殺を遂げてから1週間余り、彼女の名前がネット上で取り上げられた記事の合計数である。
はっきりいって、生前の彼女は女子アナフリークでもない限り、一般の人にとってはそれこそ「知る人ぞ知る」存在にすぎなかった。フリー転向後のレギュラー番組は2本だけ、それも2本とも週末の番組で、普段はイベントの司会でしのいでいるという、およそ「女子アナ」の呼称とは裏腹の、なんとも地味な仕事ぶりだった。某コラムニストは夕刊紙で「優秀な女子アナを失って残念だ」と嘆いていたが、彼女が言う通り、川田アナが本当に「優秀」だったら、もっとバリバリ仕事をしていたはずだ。
報道によると、彼女は恋愛に夢中になって、生放送でミスを連発していたという。まともな関係者だったら、そんな人間は怖くて使えないだろう。
川田亜子アナの死に思う
なんでこんなことになってしまったのだろう?
アナウンサーの川田亜子さんが自殺、車内に練炭と遺書
断っておくが、私は女子アナという人種にはほとんど興味がない。
畏敬のまなざしを持って彼女たちを見ている人たちもいることは承知しているが、私に言わせれば、画面の上では悲しいニュース原稿を伝えるときに見せる表情も「お仕事」としてのそれであり、画面から離れたらまったく別の表情を見せる人たちである。大体、推定年収が1,000万円を超える階層の人たちに、「ワーキングプア」が抱える苦しみがどれだけ理解できるのだろうかと、いつも思っている。
彼女の存在自体は、担当している「がっちりマンデー!!」という番組で知っていたが、どんな人間なのかはさっぱりわからず、フリー宣言してからキャスターを務めた「サタデースクランブル」でその人となりとを知ったくらいである。
だが彼女が死んでから、彼女がいろんな悩みを抱えていたことが、各種メディアで報道されている。








