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希望の訓練受けられず
長期的視点での「人材育成」を怠ったツケ…
失業者 介護・医療に集中 希望の訓練受けられず
記事と似たようなケースは、私も経験している。といっても私の場合は職業訓練校の入試で落とされたのだが。
ハローワークは自前で、職業訓練のための施設を持っている。学費は無料で、設けられているコースは、各ハローワークによって異なる。事務系だと簿記、医療事務など、工業系だとボイラー管理、溶接工などである。期間はコースによって異なるが、大体1〜2年ほど。資格取得を目指しているので、カリキュラムは朝から夕方までびっしり詰まっている。
職業訓練校の入試には、ハローワークに求職願を出している人間なら、誰でも受験できるが、競争率はコースによって異なるものの、おしなべて数字は高い。私は以前医療事務の資格取得を目指していたこともあり、都内の訓練校の医療事務コースを、地元訓練校の簿記コースを受験したが、どちらも不合格だった。
特に後者では、屈辱的な扱いを受けた。試験は筆記と面接という構成で、筆記試験は中学程度の学科試験だが、数学のできが悪くて難儀したことをお簿終えている。屈辱的な体験は、そこでの面接試験の時におこった。
面接試験は、受験生1名対面接官2名という形式で行われる。私の順番の時、なぜか試験官の1人はいびきをかいて、竿をこいでいた。起きていた方の試験官から、志望動機などに対する応答があり、私はそれに一生懸命答えているつもりだった。信じられないことは、次の瞬間におこった。寝ていた試験官が目を覚ますと、さっきと全く同じ質問を繰り返し、同じ答えを要求したのである。私はあっけにとられ、体中の血液が頭に逆流するのを覚えた。普通だったら、職務怠慢で糾弾されるケースであるにもかかわらず、その試験官は何事もなかったかのように振る舞った。冗談じゃない、受験生は、将来をかけて試験を受けているのだ。その大事な「儀式」に、居眠りするとは何を考えているのだろう?先に私に質問した試験官も、困惑の表情を浮かべていた…私は落とされた。結局、簿記の資格は自腹を切って取得したが、その資格を生かす機会がないまま今日に至っている。
シモキタ初見参
昨日、初めて「シモキタ」こと下北沢を訪れた。本当はくる予定はなかったのだが、新たに始めたボランティア先の仕事が早く終わってしまったので、時間が余ったのだ。そこは京王線沿線に事務所を構え、下北沢からも電車で5分以内にいけるので、いい機会だから、いってみようと思ったのだ。
小劇団関係者が憧れるという「本多劇場」があることから、この街は「演劇のメッカ」という見方で捉えられがち。でも実際に街の中を歩き回ると、個性的な店が多いことに気がつく。他の街でたくさん見かける「デパート」「大規模ショッピングセンター」というものは、この街には存在しない。スーパーは2つあるが、どちらも食料品、日用雑貨を扱う店である。
平日日中であるにもかかわらず、人の往来は激しかった。通りを行き交う人の多くは若者だった。目につくのは雑貨屋、洋服屋で、洋服屋は中古品を扱う店も目についた。値段はピンからキリまであるが、私の気に入ったデザインの服はあまり多くなかった。おそらく、今風の若者を意識した品揃えをしているからだろう。店員も、見た目は「ヤンキー」風の人たちが多かった。
街の中を適当にぶらぶら歩いていると、知人が訪れたという「農民カフェ」を発見。ここは有機栽培の野菜を使った料理がウリだが、その分値段も高い。店員のかけ声が「いらっしゃいませ」ではなく「お帰りなさい」だったのには笑った。まるでメイドカフェである。
もうひとつ気がついたのは、道路が複雑に入り組んでおり、ごちゃごちゃした印象を与えるということ。この街には再開発計画が持ち上がっているが、再開発で、これまでのごちゃごちゃした街というイメージを変えたいという再開発賛成派と、下北沢はごちゃごちゃしてなんぼという反対派が対立を続けている。この問題に下北沢駅の建て直し問題が絡んでいるため、両派の対立はにっちもさっちもいかない状態だ。ネット上でも論争が繰り広げられているので、実際はどうなっているのか確かめたかったのだ。
日本の貧困率は最悪だ
新政権の動きは鈍いなあ…
主要国で最悪レベル、日本の貧困率
昨日、長妻厚労相は「日本の貧困率」は15、7%だと発表した。
この数字は「先進国」の中では最低だそうだ.そりゃそうだろう、今まで最低最悪の政権を支持していたのは我々国民なのだから。過去8年間、我々国民は為政者が唱える「自己責任」という概念を信じ(こまされ)、激烈な競争社会の敗者に冷たい視線を浴びせ、路上にへたり込む路上生活者に対し
「ちゃんとしないと、ああいう大人になるよ」
と子供に言い聞かせる大人達。自分はこんなに苦労した、だから子供にはあんな苦労はさせたくないという,親が子供を思う気持ちもわからなくはない。だがそんな殺伐とした感情からは、心の豊かな子供が育つとは考えにくい。「同じ階層」という名の仲間同士で結束し、自分と違った集団を排除し、仲間から外れることを極端に恐れる、現代の子供達。世間は
「みんな違ってみんないい」
と一生懸命諭すが、同じ口で「頑張らないとホームレスになる」といっている大人がいるとしたら、「つながろう!」いっている人たちが、自分達と違う価値観の人間を排除しようとしている光景を見たならば、子供達はいったいどんな大人になるのだろうかと思うとぞっとする。
さて「貧困」と聞いて、皆さんはどんなイメージを思い浮かべるか?
このブログを書いている私自身も、れっきとしたな「貧困者」なのだが、私が思い浮かべるイメージは
・家賃が払えない
・医療費が払えない
・学費が払えない
・食費にも事欠く
・服が買えない
・交通費や通信費が払えないから、交際範囲が狭まる
だろう。実際、自分が今置かれている状況でもあるのだ。
「八ッ場」中止撤回声明
自分のことしか考えていない知事達・・・
ダムの必要性訴え 「八ッ場」 6知事視察
前原国交相が「建設中止」と発表したダムは、全国で46を数える。
平均して、47都道府県のどこかに、ダム建設中、またはダム建設を計画していたということになる。
いっておくが、前原国交相はむやみやたらと「ダム建設中止」といっているわけではない。
採算がとれない事業はしないといっているだけだ。
民間では、ごくごく当たり前の論理である。
昨日、報道ステーションで「八ッ場ダム」のことを取り上げていた。
メディアは一様に「地元住民はダム建設に賛成している」と報道するが、昨日の報道では、反対派の声主しっかり伝えていた。ムラ社会故に社会での孤立を恐れ、今までおとなしくしていただけの話だ。
それにしても、国土交通省の言いぐさには怒りを覚える。
「総事業費は4,600億円を想定していますが、その範囲内で治まるかどうかはわかりません」
だと?
民間会社で、プロジェクトチームのリーダーが、取締役の前でこのセリフを言ってごらん。
よくてリーダー更迭、最悪の場合はチーム解散、責任者は左遷、解雇だってあり得るのだぞ。
経営陣だって、ただでは済まない。
採算のとれる見込みがない事業に、多額かつ長期にわたって資金投入したら、株主代表訴訟で業務上横領または背任罪で訴えられ、会社だって倒産・破産に追い込まれる。
「事業資金」4、600億円は、もとを正せば、我々が汗水垂らして稼いだ「税金」なんだぞ、税金!
霞ヶ関の住人(ちなみに、彼らは自分達のことを「霞ちゃん」というそうだ)はいまだに
「国家は破綻しない」
と信じているようだが、夕張みたいに、地方自治体だって破綻するのだ。
国が破綻しないだなんて、誰が言い切れる?
TwitterとNHK
NHKが、16・17の両日、ニュース番組でtwitterを3回にわたり特集した。twitterがテレビに登場するのは、8月に放映されたテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」以来である。番組の構成は、ユーザーがtwitterを使う様子を紹介しつつ、昨日の「ニュースウォッチ9」や今朝放映された経済ワイドビジョンeでは、一昨日えびすで開催されたイベントの様子を紹介していた。
しかしその取り上げれられかたは、お世辞にも好意的な物だとはいえない。今朝放映された「ビジョンe」では、twitter創設者のスピーチが放映されていたが、このイベントに参加していたtwitter利用者は、自分のページに
「なんでわざわざ初見の人が沢山いると思われるNHKの報道で『ツイッターは役に立たないが、楽しければいい』っていうプレゼンのスライドを抽出して表示するんだろうか」
と、露骨にNHKの報道姿勢に反発していた。図々しいことに、NHKの取材クルーは、このコメントを寄せた人間(NHKは、彼を取材して放映している)に、
「今度遊ぼうね〜」
と声をかけたそうだが、今考えると
「オレたちが取材してやったんだから、なんかあったら付き合え!」
というニュアンスがプンプン漂ってくる。
キャスターのまとめ方も最低で、「ニュースウォッチ9」のキャスターは、
「自分はtwitterをやったことがないのでよくわからないが、正直どこが面白いのかよくわからない。海外のネットの世界にはウソの情報が流れているから、外ではウソが流れている。正確な情報かどうかを見極める必要がある」
と言い放ち、今朝の「ビジョンe」のキャスターも
「こういうものでしかつながれないというのは少しさびしいですね」
というニュアンスの発言をしていたことで、twitter利用者は反発している。ネット・コミュニケーションについて、故・筑紫哲也は10年くらい前に
「便所の落書きのようなもの」
と表現してネチズンの反発を買ったことがあったが、メディア関係者のネット・コミュニケーションツール及びネットメディアに対する見方は、今も全く変わっていないのだ。
B・A・D2009
本日10月15日は「ブログ・アクション・デー」なのだそうだ。
これはいったい何をするのかというと、10月15日を目指して、世界中のブロガーが、一つのテーマについて記事を書くというプロジェクト。こちらのサイトによると、今年はテーマが絞れなかったらしく、日本に「なんかいいテーマはないか」と相談メールが来たそうだが、今年は「気候変動」をテーマにすることに決まったそうだ。テーマがテーマだけに、最初はどういう切り口で書いたらいいのかわからなかったのだが、自分の体験から得た範囲内で語ってみたい。
バブル経済絶頂期だった1990年の秋、日本は異常気象に見舞われていた。
朝はひんやりとした空気が流れ、午前中はセーターを羽織っていても、日中になるとセーターを脱ぎ、さらに長袖シャツの腕をまくらなければならないくらい気温が上昇した。当時は「地球温暖化」という言葉はまだなく、生態系の異常を伝える記事も読んだ記憶がない。このままでは「地球はヤバい」という声はぽつぽつと聞こえていたが、せいぜいエネルギーの無駄遣いをやめましょうというスローガンを聞いた程度で、環境のために行動をしているという人の話は、ほとんど聞いた記憶がない。夜になっても熱気が残り、家ではクーラーを入れていた。驚くべきことに、我が家では11月までクーラーを入れていたのだ。11月までクーラーを入れていたというのは、後にも先にもこの時だけだが、それだけ当時の気象が異常だったということだが、その年の異常気象は、地球温暖化の前兆だったのかも知れない。
激動のルーマニア’89
9月20日に開催された、前朝日新聞記者・伊藤千尋氏のトークショー「奇聞総解」。
最終回の今日は、日本から帰ってきてベトナムへの取材旅行、’89年におこった激動の時代のヨーロッパについて語って戴きます。
中南米から帰ってきた時にできた雑誌がAERAだった。日本のタイムを目指したが、雑誌編集は未経験で、長い記事を書いたことがなかった。当時の編集長が好きにやろうという方針だったので、ベトナムに行ってみたい、あのベトナムがなぜアメリカに勝てたのか、北から南までインタビューしてベトナム戦争に取材したいと思ったら、企画が通ってベトナムに取材することになった。事前準備・取材活動・記事をまとめる作業に各2週間かけた。
戦争終結で、兵隊は皆失業者になり、賠償金はアメリカからもらったわけではない。当時の軍隊は皆会社になった。部隊長が社長になった。資本主義なんか経験していない。なにを作ろうかというので相談したら、ギターを作ろうということになった。夜ギターを弾きながら「頑張ろう」と団結していたのを思い出し、ギターを作ったけど売れなかった。考えてみればそれは当たり前で、これから社会復興しようというのにギターなんか売れるわけがない。それだったら、自分達の服を縫っていたで消耗品を作ろうということでシャツを作った。売れたが国内ではあまりお金にならない。金を持っているところに売ろう、なにをやったら売ろうというので調査のために派遣し、現地を見て下した結論が「高級家具を作ろう」だった。当時のタイは好況で、ルイ14世風の家具を作ったら売れるだろうとなった。政府が復興したわけではない。自分達で自分の経済を立て直した。
現地でも、ベトナム戦争で被害にあった家族に取材した。一生懸命答えてくれたけれど、ところどころ言葉に詰まるところがあった。それを見て、記者としての初任地である長崎のことを思い出した。
思い出して他人にしゃべるというのは、被害者・犠牲者にとってはつらい作業だ。何度も何度も同じことを聞かれる側は、その度につらい、思い出したくない記憶を蘇らせなくてはならない。それは、聞かれる当人にとってはとてもつらいことだ。長崎の被爆者も毎年8月になると、メディア各社から原爆について同じことを聞かれる。これでは、答える方だってイヤになる。当時は、そのことに気がつかなかった。
GD TOKYO10・8
最近、環境保護運動で注目を浴びている団体に「greenz.jp」という団体がある。ぱっと見はNGOと勘違いされがちだが(私もそう思っていた)、この団体は環境NGOではなく、環境ビジネスを展開している会社が運営し、、世界中の環境問題に関する話題を紹介しているする環境メディアである。
この団体が毎月企画・主催するイベントに「Greencafe Tokyo(=以下gd)」というのがある。毎月環境に関わるテーマを設け、関係者を呼んで自分の活動をプレゼンしてもらい、プレゼン活動の後は、、主催者が用意した料理を食べながら交流会をする、というものである。
gdには興味は以前からあったのだが、諸々の都合で参加できず、今回が初参加。今回は「農2.0」というテーマで、従来の農業とは違ったコンセプトで農業に参加している、4人の若手ビジネスリーダーの説明会が開かれた。直前まで日本国内を引っかき回した台風18号の影響で開催が危ぶまれたが、天候が回復したので、無事に開催することができた。
最初にステージに立ったのは、千葉で野菜栽培・販売ビジネスを手がける「株式会社とれいす」の春山佳久氏である。台風18号のために、千葉の農場が壊滅状態になったという報告があった。
彼の会社は、「矢西栽培・販売」に特化しており、説明会でも自分の仕事は、野菜の消費量を上げることが自分達の使命だといっていた。以前はスーパーに直接卸していたのだが、最近の不況でスーパー自体が事業縮小傾向にあるため、最近は方針を転換して、お客様のいるところに売り場を設け、そこで商売をすることにしたそうだ。
最近は、メタボ対策に力を入れる企業が多くなってきたので、企業にもターゲットを向けているのだそうだ。というのも「メタボ対策」というヤツで、社員の一定数が「メタボ」と認定されたら、会社は加盟している健保組合から罰せられるのだそうだ。そのため、全社を挙げて「メタボ対策」に取り組んでいるところが急増しているそうである。これらの企業に務める社員の多くは、身体にいい野菜に対する要望が多いこともあり、「とれいす」側も「オフィス野菜」と銘打った野菜を売り込んでいる。ここ最近はリピーターの顧客も増えており、旬の野菜を要望するお客様も多いことから、来月からはそれらの要望を取り入れた営業展開をするそうだ。
燃える中南米
伊藤千尋・前朝日新聞記者のトークショー・9月20日に開かれた「奇聞総解」の第4回目。
今回は、中南米の独裁政権と戦う、たくましい民衆のことをご報告します。
ニカラグアのゲリラ取材のあとに向かったのは、隣国のエルサルバドルだった。そこは厳しかった。街中には死体がゴロゴロ、政府側はもちろん、反対派も片っ端から殺される。インタビュー相手が1ヶ月後には殺されているというのは日常茶飯事。国民全員、目が血走っている。内戦は、人々の心を荒廃させる。
−ここで、伊藤氏の新著に掲載されている、エルサルバドルでのエピソードを紹介したい。内戦終結後、伊藤氏はエルサルバドルを訪問した際、現地で停電にあった。彼はとっさに、地面に這いつくばった。なぜか?実は内戦中、政府軍は夜闇に紛れて、反政府ゲリラに攻撃を仕掛けた。銃撃を防ぐため、住民は銃弾を聞くと、とっさに地面にうつ伏せになった。伊藤氏の行動は、’80年代のエルサルバドルではごく当たり前の行動だったのだ。内戦は通うに、人々の心を荒廃させる。
1992年、エルサルバドルの内戦は終わった。政府軍は縮小され、警察組織は一度解体し、新たに再編成された。反政府ゲリラは、左翼政党として再出発した。2009年3月、エルサルバドルでもついに、左翼が政権の座に就いた。「反グローバリズム」の勢いは、エルサルバドルのようなアメリカの影響が強い国をも巻き込んだのだ。
続いて訪問したのはチリだった。その時、チリは当時軍事独裁国家だった。一般的には「9・11」は2001年の事件をさすが、チリで「9・11」というと、クーデターが起きた日をさす。選挙で合法的選出された社会主義政権を、CIAが裏で軍部を操って資金を出し、計画を練ってクーデターを起こし、当時の亜じぇんで政権を打倒した。合法的に選出された我々の政権を、アメリカは軍事クーデターで崩壊させた。自分達が他人の国でそんなことをやっておきながら、2001年の「9・11」であんな目にあったと被害者ずらするんじゃない、というのがチリ人のホンネだそうだ。
中川元財務相死去
酒とのつきあいが上手だったら、もっと違った評価を下されていたのだろうが・・・
【中川昭一氏死去】循環器系に異常 体内にアルコール成分も 解剖で判明
この一報が飛び込んできた時
「まさか自殺したんじゃ?」
と思った人は多かったに違いない。
なぜなら、彼の父も同じような死に方をしていたから…
彼の父・中川一郎氏は、その豪快な性格から「北海のヒグマ」といわれ、自民党ニューリーダーの一人に数えられ、将来の自民党候補と目されていた。
ところが、総裁候補として出馬した’82年の総裁選で、予想だにしなかった大敗を喫すると、急速に勢いをなくし、’83年2月、彼はホテルの一室で死んでいるのを発見された。遺族は当初「急性心筋梗塞」と発表していたが、私は家族に
「あんな豪快そうな人は案外気が小さいから、ひょっとしたら『自殺』だったりして」
といった記憶があるが、本当に死因が「自殺」だと知ったときのショックは大きかった。側近だった石原慎太郎(現都知事)によれば、中川氏はお人好しで、その性格を巡って彼ととっくみあいのけんかをやったこともあったという。また意外にも神経が細かく、ゴルフ場の片隅に咲いている花を採ってきては、自分で育てることもあったそうだ。
父が持っていた「気位高くて繊細な」性格は不幸にも、息子にも遺伝した。
「朝4時に起きて、政策を一生懸命勉強していた」(秘書)
という努力家は、長じて「自民党有数の政策通」として認知された反面、酒癖の悪さも再三にわたり報道された。遊説で訪れた先の牧場で、絞りたての牛乳にたばこを突っ込んだという傲岸不遜な振る舞いに、有権者は苦々しい思いを抱きながらも「地元のためになるなら」と我慢してきた。それが、国内外に恥をさらした、あの忌まわしき「もうろう会見」で、全てが暗転した。











